アート性、作家性、実験性の高いユニークなアニメーションを、世界各国から選りすぐってご紹介する、ジェネオンのアニメーションのシリーズ。
Yoji Kuri Film Works
本編154分GNBA-3035 ¥3,990(税込)2007年1月25日発売 この商品のご購入はこちら
© YOJI KURI
このほか数々の個展を開き画家として活躍するとともに、自伝「どんじり」「ニセ・ファーブル昆虫記」 「人間動物園」など出版物も多数
Two Fishes (B/W Ver.)
1960年/22分
監督コメント
同名の自費出版の漫画集をもとに作った最初の作品だよ。初めて秋山邦晴さんに音楽を頼んだんだ。色々な音を組み合わせて加工して作曲してくれた。出来た映像を見て谷川俊太郎さんが即興で詩を書いてくれたんだ。朗読は北見治一さん。
Fantasia of Stamps
1960年/7分
切手をコラージュしてアニメートした作品だよ。林光さんの音楽が最初にあって、そこからイメージを膨らませたんだ。あの頃の切手の値段は高かったなァ。
Human Zoo
1962年/3分
1962ヴェネチア国際映画祭サンマルコ獅子賞 1963アヌシ―国際アニメーションフェスティバル特別審査員賞他
武満徹さんの声による音楽、「クラップ・ヴォーカリズム」のテープを聞いて、それでアニメーション作ったらおもしろいんじゃないかと思ったんだ。最初は男が女をやっつける話だったんだけど、逆にした方がおもしろいと思って、ああいう形になったんだ。声は水島弘さんと岸田今日子さん。
LOVE
1963年/5分
1963ヴェネチア国際映画祭サンマルコ獅子賞 1963オーバーハウゼン国際短編映画祭最優秀賞他
「人間動物園」のバリエーションとして作ったんだ。テーマは同じ。同じく武満さんのテープ音楽、「ヴォーカリズム・AI」を使った。また谷川俊太郎さんに詩を書いてもらった。声も同じ2人。海外でとても受けたんだ。
The Chair
1964年/10分
1964カンヌ国際映画祭招待出品
バーのカウンターのイスに座ってる人を見ていたら、みんなしょっちゅう動くんだよ。それを見ててヒントを得たんだ。有名・無名の人をイスに15分座らせてかくし撮りをしたのよ。一般人にはギャラ払ったけど有名人はノーギャラ!その頃はみんなノーギャラでやってくれたんだ!
AOS
1964年/9分
1964オーバーハウゼン国際短編映画祭優秀賞
井上洋介さんの漫画集「箱類図鑑」をもとに、その頃家にいた古川タク達若いスタッフに自由にやらせて作ったんだ。声はオノヨーコさん。その頃一柳慧さんと結婚してて前衛芸術の個展も開いていた。オノさんの得たいの知れない声のテープを使ったんだ。
The Man Next Door
1965年/9分
この作品は、イタリアのミラノのホテルに滞在中にアイデアが思いついた。「隣は何をする人ぞ」という言葉があるだろう?英語タイトルは海外の友人がつけてくれたんだ。
The Window
1965年/6分
黒マットの紙を窓の形に四角く切り抜いて、下からライトをあてて透過光を使ってね。上にキャラクターのセルを重ねたんだ。大きなビルには様々な人々の営みがあるんだ。
AU FOU ! (Orig. Ver.)
1965年/13分
オリジナルはモノクロ、少しずつ作って後で1本にまとめたんだ。カラー版では抜いてしまったものが2本入っている。その内の1本は当時封切られた、三島由紀夫原作・製作・脚本・監督・主演の映画「憂国」のパロディだよ。
AU FOU ! (Intl. Ver.)
1967年/10分
1967オーバーハウゼン国際短編映画祭最優秀賞 1967シカゴ国際映画祭ゴールデン・ヒューゴー賞他
海外へ出すためカラーで撮り直したんだ。タイトルの「AU FOU !」とはフランス語で「常軌を逸した」、「狂気の」という意味。知人がつけてくれた。海外の反応が良かった。シカゴではギャングのカポネの子孫がいるから大受けだった。イタリアでは上映禁止になったんだ。ピサの斜塔を倒したから!
The Room
1967年/5分
1967ヴェネチア国際映画祭サンマルコ獅子賞 1967第6回毎日映画コンクール大藤信郎賞他
好きなように自由に作りたいと思って、メタモルフォーゼで早い展開にしたんだ。ベネチア映画祭で賞をもらった時に僕は行けなくて、たまたま来ていた坂本スミ子さんの当時の夫の栗原玲二くんが、かわりにもらってくれたんだ。僕の本名が栗原だから丁度良かったんだ。
Two Fishes (Color Ver.)
1968年/13分
1967第6回毎日映画コンクール大藤信郎賞他
1960年に作った「二匹のサンマ」をカラーでリメークしたのがこの作品。あの頃ヒットした「世界は二人のために」を使った。佐良直美の歌が好きだったからね。
Love of KEMEKO
1968年/3分
この頃大ヒットした「ケメ子の唄」を聞いて、とてもかわいい歌だと思って作った作品だ。今でも女の子にとても人気がある作品なんだ。
G String
1969年/9分
現代音楽家の一柳慧さんの前衛的な音楽で、生理的にイヤな音をわざと使って作ったんだ。
The Midnight Parasites
1972年/10分
1973オーバーハウゼン国際短編映画祭銀賞
画の方が先に出来て、あとで冨田勲さんにシンセサイザーで作曲してもらったんだ。シンセサイザーの音楽はそのころ最も新しかったんだ。
The Bathroom
実写コマ撮りだね。引っ越した家をそのまま1ヶ月続けて借りて、空っぽの部屋の中にカメラを据えっぱなしで撮った作品だよ。
POP
1974年/3分
汽車が走っているだけ。切り絵とセルを使った。いろんな汽車をコラージュして、煙をアニメートしてね。「ポップ」という題名は、ポップアートと汽車のシュッシュッポッポをかけたんだ。
MANGA
1977年/7分
クラコフ国際映画祭ドラゴン・ド・ブロンズ賞
大阪万国博覧会の時、住友化学工業館のために作った、三面マルチスクリーンで上映されたアニメーションを再構成したんだ。