また長くなります。これからは自制しますが、不毛さんのような意見には、議論の当事者の立場から、全否定や無視ではなく、かといって融和でもない形で反論する必要があると思うので。Mozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC, Nav)
>不毛さん
個人の考えは十人十色で、また概念についての共通了解がないためその場の誰も把握しきれないような議論が継続するのは不毛といわれる。
ただそれは前提というもの。そこで諦めても仕方がない。あなたの提言は、日本語が自分の興味を持ったことを考え伝える基盤になる言葉を生みだしてこなかったという怠惰を現している。政治哲学その他の一般的な、自分が距離を取りうる問題は語れても、自分が「これだ」と思う特別なものについて、思考じゃなくて感情でしか他人に伝えることができない。
確かに僕らの道具立ては貧しい。それでも、怪しい和製英語だろうが、難解な文章表現だろうが、なにか伝えたいことがあるのにそれしか使えないのなら使うよりしょうがないし、そこで自足しなければその中で言葉を洗練させ、誤解を減らして伝えられるようになるかもしれない。
それに、パロディという言葉を使った段階で持ち上がった誤解を十人十色の言葉で放置してしまうことは僕にはできません。これは単に概念についての共通了解の形成が目的なのではありません。ラバウル銀座さんが指摘しておられるように、こと話が単純な「面白かった」レベルの感想(これはこれでOK)を超えた途端、「パクりじゃん」その他一言で全てを片付けてしまえるかのような貧相な批判が、それへの反発という形であれこの掲示板でも通用していることがわかる。概念に過ぎないはずのものが簡単に作品を置き去りにして自走してしまう。「パロディ=真似=ダメ」が批判たりえて、それに単に「それでも面白いけどなあ」や、作品の独立性を主張することでしか反論できない状況。これが「今僕」に自分が見る魅力と期待を伝えるのに邪魔だから、せめて自分の関わった範囲で変えたかったのです。そのためなら自分の大切な時間も使います。
「宮崎アニメは現在の日本のアニメの中で巨大な存在で、なのに継承者は現れない。「今僕」は確かに製作者にその気概があるかもしれないし、受け手の期待にも答えられるかもしれないけど、あんなに戦争を取り込んでるんだよ、それだけでいいの?」まとめればこんな感じになります。概念の自走を食い止めて極力「今僕」について語ろうとし、具体的な場面への言及も盛り込みました。現在の討論までである程度僕の言いたいことを他の方に理解していただくことができたと思います。それでも僕の議論自体は一般論の域を出ていないのが残念ですが。
そして僕らが話しあっているのはあくまで「今僕」についてで、討論やその中での概念なり態度なりはあくまでMozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC, Nav)
そして僕らが話しあっているのはあくまで「今僕」についてで、討論やその中での概念なり態度なりはあくまで