Mozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows NT)
11話見ました。
シュウは「犯される」とゆー事の意味が「大変なこと」で「とてもひどいこと」との認識が弱いようでしたね(゜o゜)。 いつぞやかにナブカの友人?にも聞いていたのでサラから人を殺したとの告白に当初の衝撃までにはいかなかったようですが、言葉には反応してますたね。
それだけ今まで 自分のいた世界では邪知がなかった、考えなかった。考えないようにしていたかな…
臙脂さんが書いた
>「純」だし
そそそです。 おいら、シュウに対し純と書いていいものかどうか迷いましたが、そう書いたほうが 収まりがいいですね。 「マンガらしいマンガキャラ」つーよりわ(^_^)(^_^)。
サラですが「死ぬことも許してもらえないの!?」って言っているので入水自殺ですね。
まあ ちょとカット割、あったら良かったかなってところはちょとあった気がしますが、流れとしては OKOKです(^_^)/
あの男 ほれっぽいと見た(笑)
さあ、さらに混迷を深めてゆくのか? めざすはバビルの塔!行くぞ ロデム、ロプロス、ポセイドン! チェーーンジゲッターぁあ1 スイッチオン!(ちゅどーん)
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
toshi-yk さん、ありがとうございました。カザム、本当にいいヤツだといいな。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; MSN 2.5; Windows 98)
あとEDの歌って誰から誰へのメッセージなんでしょうかね。
ジアン的にはアベリア様からハムドへ・・・? ←え!?(-_-;)
ではでは。
あんたの言うことなんかみんな嘘だー!なんて言われたらMozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; MSN 2.5; Windows 98)
そりゃ、体でぶつかるしかないよなあ・・・。なんて思いました。
シュウには最後まで真っ直ぐでいいヤツであって欲しいモノです。
最後の最後とかでシュウが壊れて、実は人間て醜いんだみたいな感じに
なったりしたらやだよー。
>ジアンさんMozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC, Nav)
どういたしまして。
>あとEDの歌って誰から誰へのメッセージなんでしょうかね。
>ジアン的にはアベリア様からハムドへ・・・? ←え!?(-_-;)
ハムド様ならフリフリ子供パジャマにフードで半泣きで布団から目だけ出しても素敵OK!(!?)
歌詞の「僕」からまともに行けばシュウからララ・ルゥへ、になるんでしょうけど、
それを度外視すればシスから子供たちへ、とか、
作中で味わってる不安からすると、誰からかはわからないけどナブカたち少年兵へ、
こっちはまだ不鮮明だけどカザムからサラへ、とか、色々ありえますね。
アベリアからハムドへってのもありますねギャグ抜きで。歌ってる安原さんがアベリアの声優だからってだけじゃなくて。
ハムドはやたら不安がってて、アベリアはなぜか理解不能だが本気でハムドを守っている。
この二人の今後も注目ですが、野望が破れて瀕死で不安全開のハムドにアベリアが子守歌を歌うっていう末路とか。
同情の余地がない奴にしてはぬるすぎですか。今のところこいつ負ける要素ないし。
今回はサラの受難がメインでした。15歳の少女が戦争の論理で妊娠とは、ボスニア紛争を思い出します。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
カザムはヘリウッドの軍人としての謀略任務を大いに果たしながらもサラに手を伸ばす(差し伸べる)あたりがやり手といった感じです。大量殺戮の先鞭をつけながら、同時に知った顔(サラ)を救おうとする。片手で一撃し、片手で救済する。人間とはこういうものか。今後カザムがさっさと死ぬことなく、サラの関係がいい感じに展開すれば、人間の両面性を肯定するという話にもなりそうです。
しかし本作はどうも「第1部・完」的な終り方をしそうですな。私的にはそれで結構ですが。
http://ww3.tiki.ne.jp/~sioworks/amano/index.html
シュウはどうなるのかな?Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
何時も正論(20世紀の)を言い続けてるけど。
時代も変われば考えが変わるし・・・
このままだと、疎外されると思う。
それはそうと、放送前のツリー式の掲示板はどうなったのだろう?
ここでは初めまして。(^^)Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows 98)
11話を見て、ララ・ルゥの正体は地球そのものだと思うように
なってきました。そう考えるといろいろと辻褄が合ってくるよ
うな気がします。
100億年の歳月を経て全てを呑み込んで寿命が尽きようしてい
る世界の黄昏。8話で「いろいろなことを思い出すから」夕陽
が好きだと言っているララ・ルゥ。途方もなく長い歳月の中で
豊かな水で生かされながら、愚かな営為を繰り返してきた生き
物や人間の姿を見守ってきたのでしょう。
ララ・ルゥの諦観は、そのような人間とは比べようもないスケ
ールによるもので、そのへんの単に感情をヌカれただけのアニ
メキャラとは天地の差があると思います。
ヘリウッドから死を運んできたカザムは最悪のウソつき野郎。
欲望剥き出しのハムドよりずっとタチが悪い。
その意味では「傷つけ合うことに慣れてしまったこの世界」
に相応しいリアルなキャラであり、この世界で都合の悪いこ
とを見て見ぬフリをして生きている等身大の人間の姿そのも
のではないか。
サラにウソつき呼ばわりされるし、今はシュウの言葉はこの
世界(シュウにとっての「そこ」)に届かずにカラ回りする
ばかりですが、シュウの投げかける言葉、真っ直ぐ差し出す
手が「そこ」を変え、ララ・ルゥ(地球)さえも動かす時が
くると信じて見守っていきたいと思います。
って、あと2話しかありませんが。σ(^^;)
http://www.asahi-net.or.jp/~RG8S-SZK/
サラその悲しみ憎しみをシュウにぶつけて少しでもいいから昔のサラに戻ってくれMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98)
シュウあとは頼む。
長いフォロー有り難うございました。じつはまだ,風邪をひいMozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
ているので,ちょこっとだけフォローです。
toshi-yk氏の 「戯れ言」の終わり頃,
>ただ、「観賞はあくまで 観賞」と書きましたが、
>それを虚構作品への、ひいては作り手への勝手で
>非生産的だが必然でもある絶対的侮蔑としてだけ
>ではなく、受け手がもろもろの虚構を享受して事
>たれりとすることへの自戒としても受け取って
>いただければ幸いです。うーん、作品は自律性を
>求められるが、その中でのリアリティは必ず現実とつながっ
>た根拠を持っている。
ですが,私はその中でのリアリティは現実とつなが
っている(という認識をみるものが行うような)
必要は必ずしもなくてもいい,とかんがえていますし,
この作品をみて,現実の紛争云々とかを想起しなくてもそれはそれで
いい,とおもっています。というより,あまり,ヘリウッド
が実は○○とそっくりだ,とか世界のあちこちではサラとお
なじような事が行われている,等々ということにこだわらない
ほうがいいのでは?と考えている次第です。多分そんなことを
考える人が多いのは作品世界に入り込めなかったのでそういう
分析に集中したせいかもしれませんし,第一どっぷりつかって
いる子供達が,シュウやサラの事を自身の事のようにおもって
対峙しているのであれば,それで充分でないか?などとも思う
からです。
いずれにしても,私はフィクション
の情報はいわゆる現実の社会にとってなんの意味もなくてもい
い,とおもってますから。むしろ,情報というよりは,情報
を評価する力,あるいはそのきっかけをあたえてくれるもの
であってくれればそれでいいと思っています。
ただし,以上の感想は,toshi-yk氏が
以前 この作品を単なる絵空事と捉える姿勢があるかも,と
いうMine氏の指摘に ある程度寛容をしめしながらも
しかし
>その程度のことを読みとる知的基盤がないのはまずいとはおもいます
とのべていたので,まぁこんなことを書いたのですが。
すこし乱暴な文章になってしまいましたが,必要がしょうじれば
また2,3日後に書き直しますのでご了承を。
以上です。
Mine氏へのランボーモノフォローですMozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
ランボーは1では自分の事で手一杯。なのに
2では自分とかつて仲間だった兵士達を助けに
再びベトナムへ。
さらに,3では自分は戦争では行ったことの
ないアフガンへわざわざ出かける(理由はあったんですけどね)。
で,映画作っている方の苦労と熱意は分かるのですが,
その描き方からしてどうもよけいなお節介を
しているのではないか?という気もしない
ではないでした。ロシア兵は最新鋭のヘリと戦車
部隊,対してアフガンの兵士は騎馬にのって登場。
でも一番役立つのはやっぱり,丸腰のランボー一人で,
最後は戦闘ヘリとランボーが奪った戦車の一騎打ち
,というか正面衝突でがっしゃーん。大爆発!!
どっかーん!ヘリは大破。中のロシア隊長は爆死。
でも戦車からはランボーが「ゴホゴホ,あーしぬかと
おもった(なんてことは言わないが,そんな感じで)」
って,でてくる・・・・。
これで最後のテロップに「これをアフガンの戦士たち
に捧げる」・・とくれば・・・。劇場でオイオイとつっこみ
いれたくなりました。それでも好きなんですけどね。
エイリアンシリーズが全部好きなように。
ただ,そこまでやるなら,世界の紛争地域へ
派遣社員のようにあっちこっち,今日はコソボへ,
明日は東ティモールへといけばいいのになぁ。
でもって,いろんな実在する独裁者を蜂の巣に
するのだ。「裸のガンを持つ男」の冒頭の様に・・・。
A.J. クィネルという匿名作家は毎作品,実在する組織
や実在するリーダーを勝手に壊滅させたり,暗殺した
りしていて,危ないこときわまりないけど作品の迫真
度は(リアルタイムで読む限りは)満点でしたから。
そういえば,浦沢直木が絵をかいてたマスターキートン
も実在する組織名を漫画は出していて,それがある種の
同時性のようなものを生み出していたのにたいして,
TVアニメになるとその部分がすっぱりなくなっていて
なるほどこれがTVと漫画の違いか?とおもった
こともあります。
以上です。