初めましてm(__)mMozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows NT)
ついでに、ってわけではないですが、 本作品の脚本家倉田氏の趣向がつよーいような気がしますので この方が携わっている過去の作品を知るのもまたたのしーと思います(^_^)
って 前にも書きこんでまいましたね こりゃまた失礼しますたー
(ふぇいどあうと)
(無断紹介ごめんなさい 倉田氏の作品経歴が一覧してます)
http://home.att.ne.jp/red/shitne/Kurata/index.html
オフィシャルページ
http://home.ctn.ne.jp/m10/orphee/
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
ハジメマシテMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
倉田氏の趣向というよりは
大橋誉志光氏の影響が大きいと思いますが
どうでしょう
(OVA グリーンレジェント乱)より
天野氏の「本作の意図」に対してのフォローです。toshi-yk氏の方は氏のフォローの文章をまだ読みとれてないので,明日以降になります。が,この投稿で大体いいたいことは言えてるでしょう。Mozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
天野氏の意見については基本的なところでは異論はありません。
(実際にもサラのような娘はいるんだよ,と知り,いたいけな中学生達が,再び驚愕するのは大いに結構なことだと思っていますし,私はそういったことを否定するような記述については「今僕をみて現実を・・」においても,そのような状況に関する限りは「必要は必ずしもなくてもいい」と かなり慎重な書き方をしていたはずです。)
ただし3つの点で留保つきですが。というよりはほとんど言いがかりに近いものですが・・。
○1・作り手の意志の有無というのは見る側としてはどっちでもいい場合があるし,本作品でも,それはあてはまるのではないかと思っています。少なくとも,ここで,見る側と視聴の仕方について話す場合には,私は,「作り手の意図についての記述を読んでない視聴者の視聴の仕方について」と考えています。
いや,こんな突っぱねる事を述べるのはひとつには大地監督のコメントというのは,どうも彼の作品についてのあれこれを聞くと,「うるさいなぁ」と邪魔くさく思うことがあるからですが・・・。
○2・「そうした意図を全部無視してお気楽に物語りに浸る」という言い方にはちょっとした揶揄を感じます。それはこちらの勝手な解釈になりますが,もしそれが妥当ならば(異存がある場合にはそういってくださると幸いです)次へ進む。
氏が述べた意見がどうであるかはともかく,一般にも時々見かける上記のような意見の背景には この様な作品についてなら,現実の問題とリンクさせながら見るというのが真剣で,フィクションと捉えるのがお気楽,(そこまで極端な二分論のようなことでは勿論ないだろうと思われますが)といった,バイアスがあるのかもしれません。
とはいっても,サラのような女性は現実にもいるんだよー,という認識があっても所詮は他人事だよ,というふうな捉え方をしている方もいるだろうし,逆に完全にフィクションだとおもっていたとしても,サラをあたかも自分のことのように捉えて,毎日やきもきしている方もいるだろうから,作品に相対する仕方というのはそれがフィクションか,あるいはフィクションだけにとどまらないか,ということには必ずしも関係ない場合もあるだろうと思っています。
むしろフィクションについては,作品に入り込んだ視聴者達がその状況とどう相対するかということを評価の基準としたいところです。
ただし,私は今まで,天野氏と意見を交わした事はありませんので,氏の意図が奈辺にあるのかははっきりとは分かりません。これはあくまで上の私の解釈に従った場合の話です。
続く
続きですMozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
○3・むしろ積極的に作品外の知識を外挿することについて反論する。
私自身の
「あまり,ヘリウッドが実は○○とそっくりだ,とか世界のあちこち
ではサラとおなじような事が行われている,等々ということにこだわらない
ほうがいいのでは?」
という記述は,セガBBS等での過去の今僕を巡るお喋りについて感じたことからつい漏らしてしまったある種の揶揄の様なものだと考えていただけると幸いです。そこでは,サラのようなことが今現実の世界でおこっている,という様なことについて述べている文章があるのですが,「それ(現実)をこのような荒唐無稽な状況と一緒にするな」という反論もあったりして,混迷を極めていたようでした。その時「あまり,そういった事にこだわるべきではないのでは?」というような感想を抱いたのです。
私自身は「フィクションはそれ自体が独立し得るひとつの世界たりえん」という理念を抱いています。その世界の倫理や,世界観,価値観は必ずしも我々のそれと同じではないかもしれない。いや,なまじ同じように見えるときこそ,慎重になるべきであろうと考えるのです。
そして,実際に行われている様々な紛争,迫害等で,この作品と同じようなことがおこなわれている,としてもその動機,過程が全くこの作品と同じだという予断は抱くべきではないだろうと考えます。
ですから,そう言うときに,外部の知識がなまじ入り込んでくると,作品内部と微妙に食い違うというような場合にはむしろ見る上での障害となり得るのではないか?とすら思える場合があると考える次第です。
例えば,SFなどを例に挙げるとわかりやすいと思うのですが,SFの疑似科学というのは,ある時点までは現存する科学技術をなぞっているように見えるのですが,途中からどこかで,それを逸脱するようにしている場合があります。そしてうまく行けば行くほどその差異が見えにくくなる。結果としてファン達は,現存する科学技術のみをもって この作品についてあれこれとのべることがあるけれど,
3-1・時にそれ自体が自己目的化してしまう
3-2・それでは作品内の世界を大事にしてないように見える場合もある
などで,時には見るモノにとって,世界に入り込む上での障害となり得るのではないかと私は考えるわけです。
(たとえ,作り手が意図的に現実に起こっている現象のコピーとしてフィクションの内部にペーストしたとしても,です。フィクション世界の内部に取り込まれた「現実」の断片はフィクションの「世界」と解け合うことによってすでに現実とは独立し得る存在となっているとかんがえるべきときもあるのではないか?などと私には思えます)
続く
続きですMozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
ただし,これはあくまで,私のフィクションのあり方についての理念から理屈として導かれるモノです。また,SFの科学技術と社会問題とを一緒くたにするのはおかしい場合もあるでしょうし,時と場合。ケースバイケースだとは思っています・・・。
ついでにいうならば,「フィクションは現実の制約から逃れ得る世界を築き挙げることの出来る,数少ない方法の内のひとつ」とも考えているので,時には 例えば,サラの強姦やあるいは嬰児殺し のような事例を礼賛するようにも(一見)みえる作品をつくったっていい,と考えていたりもします。
(ここでは,キリンヤガのような作品を念頭においていますね) ただし,これはメタ作品的な状況と 作品についてもある一定の条件をクリアしているという留保つきですが・・・
あと,ここからは,私の単なるわがまま です。 もし作り手が,本当に現実におこっている問題への意識云々というのであれば,先に挙げたことのあるA.J.クィネルの様に実在する組織,現代という時代にフィクションとしての「そこ」を作り出してしまうこともありだと思います。 「戦争の法」を最初に持ち出したのは,そういうこともあります (これは1970年代にソ連がN○○○県(新潟県のこと)を占領。日本国内で独立した結果,15歳の少年がゲリラ兵となるという架空のドラマである)
例えば,今なら,北朝鮮は打ってつけだと思います。シュウとサラは北朝鮮に誘拐される。サラはアメリカというよりは韓国の少女にすればいい。テポドンという超兵器もある。食料は枯渇してる。キム主席というよくわからない国家の代表もいる。我々からみるとかなり異様に見える国民生活もある。今僕のストーリーラインを活かせる状況の全てがそろっているようにみえます。もちろん今のような政治的状況でこのような作品を作るのは難しいんだ,の一言ですむかもしれないでしょう。でも・・お隣の韓国は「シュリ」のような作品を今,そこで 作ってしまっている。
★Mine氏へのフォロー ですMozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
何度も,シュウのキャラについて言及してるのをみるとそのきっかけのひとつとなったかもしれない私としても一応フォローしようと思います。
今までのMine氏やtoshi-yk氏らとのやりとりや,過去ログからのサラやシュウの言動についての記述などから当初の印象から次第に次のような認識へと変わりつつあります。つまり,
サラとシュウという異世界から飛ばされてきた2人をある種の対比構造に置くことによってその差異を明確にしていこうという意図があるのかもしれません。
ちなみに,その時,女子がひどい目にあって男子はきれい事というのは差別だといわれそうですが,
○男の子二人 だと サラがサラ夫になり,陵辱されるという意味が変わってくるだろうから,×。
○一方で,女性二人ならシュウがシュウ子になり,シュウ子もサラと同じく毎回陵辱されるのだけど,それを「相手を殺すのは嫌だ」といって毎回耐えているのはあまりにも悲惨に見えるからダメ。
また,サラが体重が100kg以上で和田勉の様な顔の有色人種だったりすると,同情の引き具合激減するだろうから,白人の美少女にする。
ここで,サラは現実主義的な態度を体現する一方でシュウに理念を貫き通す態度を体現してもらう。というわけで 元気な男子と 可憐な女性ということになったのかもしれません。
そしてもしこうした対比の構図を前提にするならば,今後もシュウとサラはあくまでこうした態度を貫き通すだろうとおもわれます。で,シュウが「真っ直ぐ」なキャラクターであるというのは物語の対比構造上からは必要不可欠で,だから最初の描写でそれを繰り返し主張するというのもありなんだろうと最近は認識が変わってきてる,というわけですね。今更何をというかもしれないですが・・
ところで,
ロッキー,ランボーはともに,脚本は全部1からシルベスタースタローンがクレジットされていました。そもそもロッキーは売れなかったスタローン自身が話しをつくって企画として持ちこんだという経緯があると映画秘宝の本に書いてありましたし。つまり,全ての作品に彼の血が通っているのですね。
>佐藤@komabaさんMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
>私は,「作り手の意図についての記述を読んでない視聴者の視聴の仕方について」と考えています。
前述のように、視聴者には作り手の意図を汲む「義務」はないでしょう。
私の作品へのスタンスはtoshi-yk氏とほぼ全面的に同様で、製作者の意図云々は氏が指摘された
ように客観的な補強として援用したまでです。私としては、製作者の意図がどうあれ、現実世界の
知識を作品評論にフィードバックするのは至極当然だと考えます。
>現実の問題とリンクさせながら見るというのが真剣で,フィクションと捉えるのがお気楽,
>(そこまで極端な二分論のようなことでは勿論ないだろうと思われますが)といった,バイアスが
>あるのかもしれません。
ちょっと違います。
フィクションと捉えるのがお気楽なのではなく、フィクションを評論するに際し、現実世界の知識を
用いないのがお気楽だと言ってます。
>その世界の倫理や,世界観,価値観は必ずしも我々のそれと同じではないかもしれない。いや,
>なまじ同じように見えるときこそ,慎重になるべきであろうと考えるのです。
現実世界と違う価値観の世界を論ずるにあたって現実世界の価値観と対比するのは大いに意義ある
事だと思いますが。受け手が作品世界に構造的な矛盾等を感じるとしたらそれは現実世界の価値観に
基づく価値判断であり、そういう価値判断を全面的に否定するとしたら、作品に関して他者との意見
交換は不可能になります。作品上のあらゆる矛盾が是認され、どんな批判も頭から否定される事に
なりますから。
>むしろフィクションについては,作品に入り込んだ視聴者達がその状況とどう相対するかと
>いうことを評価の基準としたいところです。
作品世界を現実世界とは独立のものとして考えたいとの事ですが、「作品に入り込んだ視聴者達が
その状況とどう相対するか」について言うと、受け手は現実世界の価値観に従って作品の状況に
「相対」するのであり、純然たる「視聴」、つまり現実世界の価値観を否定して作品世界の価値観を
全面的に無批判に容れ、状況の推移を鑑賞するだけでは、到底評論などは出来ず、「良かった」
「悪かった」というような感想すら存在し得ない。評論も感想も、現実世界の価値観によって生ずる
ものです。
作品を制作したのは現実世界の人間であり、作品を鑑賞する側も現実世界の人間である以上、
「物語としては」現実世界から独立しているとしても、作品を他人と共に評論し合うなどする際には、
現実世界の知識や常識、価値判断を抜きに論ずる事は不可能だと考えます。
http://ww3.tiki.ne.jp/~sioworks/amano/index.html
>佐藤@komabaさんMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
>サラとシュウという異世界から飛ばされてきた2人をある種の対比構造に置くことによってその
>差異を明確にしていこうという意図があるのかもしれません。
その辺は興味深い所で、ここのBBSでも4話の辺りから色々議論になりました。
>ちなみに,その時,女子がひどい目にあって男子はきれい事というのは差別だといわれそうですが,
>○男の子二人 だと サラがサラ夫になり,陵辱されるという意味が変わってくるだろうから,×。
大分前にもここで言った事ですが、何故男だと「陵辱されるという意味が変わってくる」のか?という
問題があります。私が礼賛する所の傑作戦争劇画には、Nという人物が登場します。彼はもと憲兵で、
姑息で間抜けで悲惨なキャラクターで、イラン人の兄貴に「強姦」されたり(その時の上官のコメント:
「任務の為の尊い犠牲だ」)、ソ連軍婦人兵部隊の捕虜になり連続的な強姦を受け油が抜けきったり、
ある部下をいびった結果、寝ている間に部下全員からリンチされたり、骨折などの大怪我をして
寝ている時に上官から薬を渡され、厚意に感謝して飲むと、それが実は超強力精力剤だった、
等の無茶苦茶な目に遭います。見ていて大笑いですが、彼が男でなく女だったら笑えませんな。
しかし、では男なら何故いいのか?これこそ、常識と化している類の根の深い差別では?
http://ww3.tiki.ne.jp/~sioworks/amano/index.html
「鉄腕アトム」が介護・災害対策 つー ニュースん時にMozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows NT)
今僕サントラかかってましたげー 。
「テレビでアニメのBGMがかかると反応してしまう」
ああ 悲しき性よのう(笑)
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
>大橋誉志光氏の影響Mozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows NT)
(゜o゜)!
あれ!? 今回参加しているんですか(゜o゜)
ちゃんと クレジットみてなかった〜(T_T)/
たぶんそっちのほうがありそですねい〜〜 (シュシュシュ〜)
ありがとうございましたーm(__)m
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-