ぽっぽ氏の意見はもっともな話で,その通りだと思います。私の表現の仕方は,一部の人にMozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
きわめて不快感を与えたかもしれませんし,その点については陳謝します。が,今回はあえてそれを書いてしまうことにしましたし,またそのことについて先に断りも入れませんでした。それは今僕という作品の体裁から考えてこのような話題を出すのはある意味では好機ととらえたからでもありますし,何より不意打ちというのは効果があるだろうとおもったからです。また,私はぽっぽ氏のこのような意見が出てくるというのは至極当然の話で,出てこない方が,おかしい,とすら思っていました。・・・あの文章をよんで,全く,胸が痛まないひとはちょっと考えてみてくださいな。
私は1月8日の「視聴者としては今僕とどう対峙するか?」と「どうしてシュウは真っ直ぐで,サラは女の子なの?」で扱った,強姦をも肯定する作品があっていい,サラが有色人種だったら,北朝鮮を題材にする,という3つの点はどこからか文句がくるかもしれない,と考えていました。実際には2番目にしかこなかったのですが,この3点は私が以前からメディアに対しての不満として抱いていた考えをこの場を利用して噴出させた,といってもいいかもしれません。私は以前から,「身近にいる人間」をアニメは描いて欲しいとここで,何度もいっていますが,それは「身近にある問題を描いて欲しい」ということににも繋がってきます。アニメという表現形態では,少なくとも商業ベースに乗っかるものについては,日本ではほとんどといっていいほどマイノリティや身近な問題を扱って来なかったのではないかと思っているからです。
今僕という作品は今までアニメでは扱われてこなかった側面を描いているというそれだけでも座布団10枚,と以前に述べていますが,それはやっぱりまだ遠い「そこ」の話題です。 「今ここにある」問題はアニメではいろいろな理由があるのでしょうが,充分扱われているとはお世辞にも言えないのではないでしょうか。
続く
続きです。Mozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
例えば今までに3000近くのタイトルのアニメがあるにも関わらず,主人公クラスで肌の色が褐色ないしは,黒いといえば,ターンAガンダム,Vガンダム,ウテナ,ナディアと,数えられる程しかないように見えます。(しかも,これらはアフリカ系の黒人というよりはアジア系の有色人種ではなかろうか?)。また,在日朝鮮人の主人公にはお目にかかったことがありません。アメリカのパワーレンジャーのように極端なpc(政治的正しさ)に偏る必要はないかもしれませんが(いや,少なくとも社会的には一度くらいは思いっきり偏った方がいいかもしれないですな),少なくとも東京にいれば,様々な國の人々を見かけるし,因縁つけられたり,道を尋ねらられた事も何度もあるでしょう(私はある)。
そうした状況にあって,アニメはあまりにも旧態依然として,そうした状況からはかけ離れているような世界を描いている様に感じるのです。また,この間「ここがへんだよ日本人」という番組で,アフリカ系の外国人の女の子が幼稚園でいじめられていると泣きながら訴える父親がおり,そうした現状が子供の世界にも大きな影響を及ぼしていることも強く感じました。
また,体型についても,アニメで20代前半ー後半だけど,少し(あるいはかなり)太めので顔がいわゆる「ブス顔」の女性が主人公というのはほとんど見かけません。「オバサン」という意味づけが与えられて初めて太めの女性というのは存在を許されているかのようです(というかオバサンはほとんどが太めの肝っ玉母さんというキャラクターしかないようにみえる)。これらはアニメについての私の経験に基づく感想でしかないですが,少なくとも実写だと,太めの女の子が主人公だったり,太めで背が低くて顔もお世辞にも良いとは言えない人妻(おばさんというイメージよりはこの言葉に近い)が夫の浮気を乗り越えてものすごく魅力的な人間になる(容姿はかわっていないのに・・)作品に数多くであっているのも確かです(シー・デビル)。
こうしたアニメの現状への不満と視聴者の意識にたいする揶揄として,「サラが体重が100kg以上で和田勉の様な顔の有色人種だったりすると・・」の文章を書いたのです。本当はサラがブス顔でも,ちゃんとドラマとして成立してしかるべきでは?・・・という具合に。
ここで,私は黒い肌の人々に偏見はない,と 断っておくのが常套手段なのでしょう。が,私は正直言うとアフリカ系の人にはものすごい偏見と劣等感をもっています。ただしそれはアングロサクソン系の人に対してもおなじであり,アジア系の人に対してもです。ついでにいうならば,ダイエットをしているということもあり,太った人間にたいしてきわめて強い近親憎悪を感じても居ます。痩せた人に対しては,もっと強い羨望と嫉妬を感じますが。フィクションというのはこうした感情を疑似体験させ,自身の中にどのような偏見や感情が眠っているのかを呼び覚まし,それを向き合うことを強要させるいい媒体だと考えています。だからそう言う意味合いでサラの強姦を描いたことは,良かったとおもっています。しかし・・多くのアニメはそうした様々な感情を封印してしまったかのようにダンマリ。なんとももったいない話です・・。もっとも,私はキャプテン・プラネットのような作品はあんまりみたいとは思わないでしょうが・・。
以上です
ドラグナーにもいましたな、確か。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
名前忘れたけど(汗)。
まず,天野氏の「現実世界」(1月10日)についてちょいとだけMozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
フォローです。というかフォローの予告です。
天野氏の意見は,「評論者としての態度」としては
ある部分については妥当だとおもわれますが,それは
あくまで評論する者としての態度に限られると考えられます。
そして,「視聴者としての態度」としてはそれはあてはま
らないのではないか?とも思われます。なぜか?
という点については後日詳しいフォローはします
が,ひとつだけ。
「現実世界の底なしのリアリティに匹敵するほど
のリアリティをもつ作品は滅多にないし,この作品
が,そうだともいえないだろう。そして視聴者として
訓練された者はともかく,そうでない者の中
にはそのリアリティが互いに独立しえるものという
認識を抱くよりは,互いの優劣についてのみおもい
をはせるものがいるのではなかろうか?だから,
作品に存在としての重さを感じなくなってしまう
のではなかろうか?」
(簡単にいうと,「これってウソッポイジャン」とかいうような事です)
ということから,あまり作品を見ている最中にゴチャゴチャ
作品外の状況についてあれこれと思いをはせることが
かえって視聴の阻害になるのでは,と「視聴者としては
今僕とどう対峙するか?」で述べていたのです。
もう一つ toshi-yk 氏にたいしては以前
能力の有無についての氏の感想をのべていたようですが,
私は能力の有無というものそれ自体に価値を与えるような
社会的状況には理念としては反対したいところです。
現実的にはまた話がべつなので,あくまで理念としてですが・・・
(数字が数えられるということはどうでもいい,といいたいが,
でも現実的にお金を勘定出来るか出来ないかは生きていく上で
重要な要素だろうから・・)
>黒い肌 投稿日 : 2000年1月14日<金>17時25分Mozilla/4.7 (Macintosh; I; PPC)
>ドラグナーにもいましたな、確か。
そうそう,いましたね。主人公3人組の内の
一人。あれはアフリカ系のアメリカ人だった。
あと,ジャングルくろべえもおもいだしたけど,あれは
お世辞にも人間として扱われていたとは言い難いように
思える部分もあったからなぁ。
日本では,大阪の黒人人権擁護団体の活動など
が中心となってジャングル大帝の一時出版中止さわぎ
,チビクロサンボの絶版などからアフリカ系の
アメリカ人などを出すことにとまどいを感じている
のでは,という考えが私の先の意見の背景には
ありますが。
少なくともジャングルくろべえは再放送できないだろう。
えっと、確か、ナディアで、ハマハマっていうキャラクターでてきましたよね。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
黒い肌の青年で、ナディアが一目ぼれしちゃうという話があって。
あんまり記憶が定かではないのですが、結局ハマハマには恋人だか婚約者がいて、
ナディアがガーン・・・・・・・・・となる、とかそういうの。
その恋人は細身で結構かわいめのキャラクターなんだけど、実は当初の貞本義行氏の
設定では、もうちょっと太めで、顔もいわゆる「原住民」という言葉に対してもつイメージに
ストレートな感じのデザイン(あまりよくない表現ですが)だったのに、NHKが
「これはダメ」と言って、デザインを変えさせたという話があります。
★アフリカ系→狼少年ケンは?(古いが)
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/4042
ああ、早く来週がきてほしいような、来てほしくないような・・。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 98)
12話は今までで一番ショック受けました。
たぶん、生まれて初めてでしょうね、こんなショック受けたのは。
って今私高校生なんですけどね・・。
ナブカが撃たれそうになった時、ナブカが殺される!いやいやいやいや!!!
って見てたら、思いもしなかったブゥがナブカをかばった・・・。
一瞬時が止まりました。そのあと、震えと涙が止まらなかった。
そのあと、振り向いたナブカもスーンを撃って・・・。
ブゥからは血がたくさんでてて、頭の中錯乱状態でした。(人生最大のショック)
見終わった後も放心状態で、母さんに「どうしたの?血の気がないよ」って
言われたくらい・・・。
予告の絵は、なんだろうすっごく悲しかった。
”ここ”に生きてる人ならいつでもできそうなことだけど
それができない”そこ”に生きてる人たち。
もう、みんなの笑顔を見ることはできないのかな。
ナブカ死んじゃうのかな?死んでほしくないよ、死んでほしくない。
みんなが生きて幸せになってほしかった。もう無理?
来週で終わっちゃう!!なんかすっごく悲しい!!
シュウ!ナブカ!サラ!ララ・ルゥ!シス!タブール!
強く生きてくれ〜〜〜〜〜〜〜!!!
12話を見て、別だん何も感じなかったのねん。Mozilla/3.0 (DreamPassport/1.01)
毎年、終戦記念日近くに、さんざんアメリカのフィルムで、同じ様な光景見てるし。
海外の戦争ドキュメントでも、カメラマンは、好んで残酷なシーンを撮り、それを、見続けた結果。
傷つき合う事に 慣れてしまったこの世界に 慣れてしまったのね〜。
アニメでも、こんな場面ばかり流してると、慣れが生じるのね。
作り手サイドは、真逆の意図を持って制作してんだろうなぁ。
子供に戦争の空しさを知らせる為とかね。
でも、人間って、悪い事にも順応してしまうとこがあるからに。
むずかしいとこ、なのねん。
ここでの感想は個々に行うようなので落ち着いたはずなのに…Mozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows NT)
すいませんm(__)m
:佐藤さんへ
>身近な問題
身近な問題というのは 社会問題も含めるのでしょうか? そうなれば、各アニメ、あのマジンガーZ、鉄腕アトムにさえ、様々な当時の社会問題が風刺的に書かれていたりするので、主として扱ったものでないにしても、作中 所々に含んでいます。 ウルトラマン、仮面ライダーでも。 ですので 「ほとんど」ってのはちょと気になります(T_T)。
ただし、メインっとなれば「ほとんど」ないのは確かです。
しかし、商業ベースに載せながらやるとすればさきの手法しかないやもしれません。 でも、これから先 流れが変わるやも…。 変わるとゆーか、作品系統の一本ができあがるかもしれません。
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コナンさんへ
>こんな場面ばかり流してると、慣れが生じるのね。
そそそ。 そうなんですよねえ(T_T)。 こーゆー「慣れ」を抑制するたってのでも 実は自主規制って役だっている面があるんですげ。
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出版界、特にエロは時折 都や警察、通産省から自主規制の要請をたてられ 規制をたてつつ 時間がたつとまたゆるんで過激にファイヤーでまた規制と、 たとえていうなら、 車のアクセルをふんだり、ゆるめたり、ブレーキかけたり、 それに似ているような気がします。
が、2、3年後の児童ポルノ法改正では どうやら それ系の雑誌だけでなく、アニメや一般商業誌、ゲームにも影響あるようで、事によっては日本アニメ、ゲームが世界に食われる可能性もあるとのこと。 ああ ちょと 脇道に(^_^;
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
はじめて 書き込みする kagiと申します。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0b2; Windows 95)
私も「今、そこにいる僕」が 好きなんですけど
設定制作資料集みたいな本は販売されているのでしょうか?
12話まで きてしまいましたが 大地監督が、どのような思いで
「今、そこにいる僕」をえがいたのかが知りたくてたまりません。
どなたか 教えて頂けませんでしょうか?
すこしですが12話の感想も...
私は、結構 物語にはいってしまう人間なんですが
テレビをみながら、「ハムド!それ以上は、やめろ!!」とか
「シュウ、ガンバレ!!」とか、叫びながら 見てます。
特に、最後 スーンがナブカに撃たれてシュウが「ナブカ〜〜〜〜〜!!」
と叫ぶシーンなんか 震えちゃいましたよ
私も放送終了後 しばらく 放心状態でした。
また 書き込みさせて頂きますので よろしくお願いします。
では、失礼しました。