極論っていう単語のみで言論を封殺するのも、どうかと思う。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows 95)
制作者の意図を曲解というが、じゃああなたは、制作者の意図を正しく理解して
るのか?<こんなこといってもしょうがないので、各々の場面をもって、その判断
とする。
toshi−ykさんが具体的に指摘してる場面。サラは中絶を選択してます
よね。シスの言葉「憎まれるために生まれてくる子供なんていない」だから、中絶
という手段があるんじゃないの?
ハムドは無様に死ぬ。タブールも無様に死ぬ。ナブカは腹を撃たれても、(不自
然にも!!)どのぐらいの距離があるかわからないがシュウのとこまで這っていっ
てなんかいいこと言わしてもらえる。カザムはなんで子供を助けるの? アベリア
のその後なんて描写されてないことに思いをはせるのは、それこそ曲解? 画面に
映ってるのは、ただ許されたという事実だけ。
http://www.lares.dti.ne.jp/~kid-a/
toshi-yk さんに先書きされたわわ〜〜(^_^;(笑)Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
おいらのは めちゃへっぽこ文ですがう(いや〜ん)。
toshi-yk さんの下2通分の書き込みに同感です、しかも 文体に目ウロコです。(さすがだわ〜〜) 心より感謝です、ありがとうございましたーm(__)m
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気田さんへMozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
>極論っていう単語のみで言論を封殺するのも、どうかと思う。
toshiさんは、「極論が見受けられる」書いており、全ての書き込みに対してっと書いてはいません。 よって、ここにある 書き込みを封殺するつもりでもないと思います。 たしかに「極論」という単語はとらえようによっては「きつい」ものかと思います。
しかし、出来上がった作品に対し、反論しか無いのもなんともさみしい気がします。 もし反論な文であれば おいらはその時こそ「こうしたほうが良かったのでは?」と書いて良いと思います。
制作側にもおいしいと思いますし。
あくまで「思う」ので 全てそうしろ!っとは書いておりません、しかし、カンにさわる事は確実かと感じております、気田さん 申しわけ有りませんでした。
追記
>余計なことなら書かなきゃいい。
おいらが思うにtoshiさんの謙遜で「余計」って書いたと思うので、 おいらとしては「書かなきゃいい」というのは なんとも悲しい気がします。
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こんにちは、お初にお目にかかります。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.5; Mac_PowerPC)
私も時々ROMらせてはいただいていたのですが、最終回を見終わってと
いうことで、ちょっとだけ、書き込ませていただくことにいたしました。
皆様方のご意見、ご感想、いろいろ読ませていただきましたが、
感じ方は、それこそ人それぞれでしょうから、その点については、あえて
何も申しません。
ただ、私的には、間違いなく、心に残る作品になるであろうことは、
間違いないでしょう。
そして、今、地球のどこかで、間違いなくヘリウッドの少年兵と同じ立場に
いる子供達がいて、ザリバースの子供達と同じ立場に入る子供達がいて、
そんな現実を、改めて考えなす機会を与えてくれたのは、この作品であり、
それだけでも、意義のある作品だったと思っています。
スタッフのみなさん、キャストのみなさん、本当に、お疲れ様でした。
………最後に、同意見多数のようですが……
ナブカ………
彼には、正直、生き残ってほしかった。
あの、最期のシーンは、かなりショック大でした……
一番あの世界で、まともな奴でしたからね。Mozilla/3.0 (DreamPassport/1.01)
タブールを悪く言うみんな、解ってないっスよぉ。
大体、ハムドがイカれてるのに、気付いてたのって、タブールくらいじゃない?
あんなに、解り易くブッ壊れてたのに。
ナブカや他の兵士って、何で気付いて、排斥しようとか思わんのかしら?
タブールは、上にのし上がって、ヘリウッドを自分の手にしようとした、賢い奴だったよねぇ。
自分の村に帰れる、それを動機に人を殺しまくるだけの奴らより、まだマシ?
タブールが、大人になって、ヘリウッドを乗っ取り、世界の王になれば良かったのにねぇ。
恐怖を使って、効率的に世界を統率する、指導者になられた事でしょう。
銅像とか、マス・ゲーム好きの・・・
タブール。
実は生きていて、10年後くらいに、海賊のキャプテンとして、生きているのが、似合いそうな男だ。
> 極論っていう単語のみで言論を封殺するのも、どうかと思う。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 95)
他人の事をとやかく言う前に自分のやった事を鑑みるのも一興でしょう。
不満とも愚痴ともつかぬ物をただ垂れ流されてもこちらとしては不快感以外は覚え
られないのでね。
〉シスの言葉「憎まれるために生まれてくる子供なんていない」だから、中絶
〉という手段があるんじゃないの?
犯された人はその子供絶対に愛する事ができない、100%憎むはずだという確信でも
おありですか?
〉ただ許されたという事実だけ。
それを戦争肯定につうじるなどと言い出すのは極論とは言いませんか? ましてサ
ラは犯された女だから主人公と結ばれなかっただの過酷な世界に残されるはめになっ
ただのは暴論以外の何物でもない。
許された、という言葉にしてもねえ・・・。
彼らは誰に対して罪を犯した? 誰に対して償わなければならない? 誰なら彼ら
を許せるのか?
>一番あの世界で、まともな奴でしたからね。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 95)
<以下省略>
私はそうは思いませんけれどね。
なんかこの掲示板まえより断然書きこみが多くなりましたよね!!Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 98)
いろんな人がいろんな意見を書いてなんかこういうのいいです!!
やっぱりこれだけの力が「今、僕」にあったってことなんでしょうか?
それだけですっごく嬉しくなっちゃうのは私だけでしょうか??
う〜ん、とにかくいろんな人のいろんな意見が見れてわかめはすごく嬉しいし
この作品にすごぉく感謝したいと思います!!
いろいろ勉強になったこともあるしね!!
それでは、またカキコしにきたいと思います!!
:気田さんへMozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
またも 不快な文章おゆるしください(T_T)m(__)m
>指摘してる場面。サラは中絶を選択してます
あの場面は中絶 以上に 死を選択しています。 サラが「死ぬことも出来ないの!?」と語っているのがそれです。 ただ、その直後 シュウにとめられた時に石を使って、腹の子だけでも!って やってますが、 はたして、彼女自身、
>中絶という手段があるんじゃないの?
その選択もあります… しかし 劇中 サラは 産むことを選択しているので、劇中の事実に対し、 サラの心情を考察したほうが良いような気がします。
それと、これに付随して「題名:母親の役目 」のところで
>男であるシュウは、サラにだけ子育て押しつけて、何事もなかったように現代世界に戻ってくるし。
とありますが、心情を考察した際、本当にシュウは何事もなかったようになのでしょうか? 画面上に描かれていないからといって… いや そう捕らえてもいいのでせうが、 それでは なんか 悲しい気がします(T_T)
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>気田岳史さんMozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.5; Mac_PowerPC)
うーん、書き方が曖昧でしたかね。僕が極論と言ったのは、「余計なこと1」で扱っている、サラの描写が中絶反対のプロパガンダという意見と、男のロマンうんぬんの二つであって、この二つについて前の書き込みに書いたように作品を少し分析すれば反証できるので、前者(実はあなたの「女を子供を産むための道具としてしか考えてない」という批判を特に念頭においていたので、それをはっきり書くべきでした)には作品中に中絶という選択肢、本人の意思の尊重というあり方、反措定としてヘリウッドによる女性の扱いが描かれている、という具体的な論拠を挙げて反論したまでです。後者については書きませんでしたが簡単に言えば「今僕」が戦争の価値を疑問に付しているという点ですね。言論を封殺する意図も力もありませんが、上記の二つは筋の通っていない極論と判断し、掲示板の一利用者としてあくまで言葉によって釘を刺しました。
>シスの言葉「憎まれるために生まれてくる子供なんていない」だから、中絶という手段があるんじゃないの?
ええ、ありえると思います。ただ、そこで出産を選んだのは、(ヘリウッドでのように)誰かに強制されたわけではない、サラの判断です。僕はそれを尊重し、どうしてその決断をしたのかを作品をもとに考えたい。あくまで製作者の意志のレベルで語るなら、出産という選択を描いたのは確かに製作者の偏向でしょう。が、繰り返しになりますけど、一方で別の選択肢、本人の選択の尊重も作中に提示している。あなたが「今僕」の特質として批判した「女を子供を産むための道具としてしか考えてない」あり方すら、ヘリウッドの論理として作中に相対化された形で描かれている。ひたすら出産を正義として推し進めるならプロパガンダでしょうが、そうではない、と。それをあたかも絶対的正義としての出産の押しつけのようにただ責めるのは、公平さを欠いているということです。そうした批判が通用するなら、製作者はほとんど何も出来なくなると思うので。
以上から、「今僕」に対して「女を子供を産むための道具としてしか考えてない」という理解は、基本的には曲解だと思います。そうした要素が認められるにしても、それを指摘するには「女を子供を産むための道具としてしか考えてない」という乱暴な非難では役者不足であることは、上に説明した理由から確かです。僕の指摘した製作者の配慮を念頭においた上で批判された方が、内容的にも向上すると思うのです。掲示板の雰囲気にもいいし。
僕も製作者の意図がすべてわかるわけではむろん無いし、「余計なこと1」の最後に書いているように、そうしたことは考えない見方もします、っていうかそれが主です。製作者の意図を問題にしたのは、それでも貴重なものだと思い尊重はしたいからで、そこをあからさまに曲解していると思われる意見には反論したかったのです。そして「余計なこと1」の最後は、そうした、製作者の意図その他の「テーマの表現」に基づいた是非からもう少し自由になろう、という勧誘でした。そして、「余計なこと2」のハムドその他の死に様、アベリアの今後うんぬんその他は、その実行例として製作者の意図とはある程度距離をおいて勝手に妄想していることです。ですから「彼等は誰か(この場合は製作者を念頭においていました)による罰を受けて死んだのではない」と捉えていると書いたのでした。あなたが前に書かれていた、サラが「ここ」にいたときに持っていた夢について妄想したりもします。