>しゅうさんMozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 98)
>まず前向きにならなければ始まらないと思っているから
なるほど!って思いました!!(笑)
私も、友達がすっごく不安がっているときとか、悩みとか打ち明けられたり
したら「大丈夫!」とか「絶対いいことあるって!」とか言っちゃいます。
でも、それは自分的に”こういうとき”に
いう口文句(?)みたいな感じで言ってて(ひどい)、実はなんていっていいか
わかんないから言ったみたいな。でも、しゅうさんのコメント見て
「ああ!そうか!!この言葉って前に進むためにきっかけに過ぎないんだ!」って
思えた。きっかけがあれば、人は進むことができるし、自信だってつく!!
なんかそうか!って思えたので思わずレスつけてしまいました!!
初めて書き込みします楼といいます。いろいろ書きたいことはあるのですが、全話、特に、最終回を見て思ったことを書きます。この作品の大きなテーマの一つは、「母性に対して許しを請う。」だと思います。ハッキリとこの場面でそれを感じたとは言えないのですが、サラを見ているとそんなことを感じてしまいました。3話の後半から、いいことなんてこれっぽっちもなかったように思えるサラ、怯え、憎むことしかできなかったように思えるサラ、そのサラが、最後にアベリアを許し、子供を受け入れたのを見ると、そう、感じづに入られません。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
http://inisland@d3.dion.ne.jp
>にっし〜さんMozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 98)
私が思うにそれは”ララ・ルゥ”の感じたことかなって感じに
解釈してます・・・。
「今僕」の中でララ・ルゥは水の源みたいな感じで描かれていたんで
水から見て(なんか変な気が・・・)この地球というものが
100億年の中でどういうふうに変化し、その中で人間はどんな生き方を
してきたのかをしっかりと見て、殺し合いがあって醜い時代もあったけど
それでもやっぱり人間の生き方というもの(?)には愛しいところもある。
みたいな・・・・、なんだかいってることが自分でもよく分からなくなって
きましたが、たしかちょっと似たようなことを前誰かがカキコしていたような・・。
実を言うと私もこのメッセージが何を意味しているのかよくわかりません。
みなさんの意見が聞きたいですね。
にっし〜さん、別のサイトでもお世話になってます!(^^)
だからか、にっし〜さんのコメントを見つけるとおお!!って
見入ってしまいます!(笑)これからもよろしくお願いします!
Tomoki さんへMozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
>極論ばっかりだったから・・・・ 投稿日 : 2000年1月23日<日>03時48分
これは toshiさんだけでなく、おいらにもとれると思います。 Tomoki さん自身はそうでないかもしれませんが(T_T)。
制作者の作ったストーリー。そこに用意されるキャラ。 ただ、この場合、キャラ自身には意志はなくとも ある一部、キャラの背景、性格、その時の状況というのが考慮され プロットとして用意された内容が変わったりする事もあるのです。 ただ、作り手としては これはせめぎ合いであり、ニワトリ卵の関係にも似ているような気がします。 実際のマンガ家にも過去 キャラの性質と回を重ねるごとに しだいに当初のプロットやもくろみと変わったりする場合もありました。
ただ、今僕だけに限定、今僕のように短期放映のものはすでに(ほとんど)用意されたものなので制作サイド以外からの影響はないかもしれません。
しかし、アニメの場合、複数の人間がたずさわる事を考慮すると、キャラのプロットに それぞれの討議したり、OKでたと思ったら修正くわえられたりと、その物語だけに合わせたキャラだけでなく 様々な思いがこめられ完成されるものになると思います。 もちろん主たる、監督や脚本家、構成作家等の大きい影響があるのはたしかでしょうが、それでも 複数の人間が介在します。 また、各話それぞれで 担当が変わったりしますので、もはや 1個人の人格のエミュレートではないと思います。 ただ、終始携わり気に入らなければ自分で書いてしまうような監督の場合は より 本人の色が強くなると思います…が それでも本人ではないのです。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
:作られた物語に登場したキャラに対し 描かれていない部分を考えるというこ
、それは、 どのアニメでも必ず表現が足りない部分があると思います。 今僕も表現として足りない部分、 また アニメゆえに各視聴者が持つ時間的間合いの感覚差というのが発生してると思います。
あくまで toshiさんなりの補足、すでに作られたストーリーの範疇で補足した文章として、キャラが〜ときたと思います。 おいらの擁護色(擁護とゆーのも正しい表記でないと思うんですが)のある書き込みをしている所のおいらはそうです。
また Tomokiさんが指摘したtoshiさんの文は あくまで「〜だろう」「と思います」というのに準することに注意してください。 toshiさんは断定や強要はしてないのです。
逆転の発想で、キャラを起点として、ストーリーを考慮する …結局は制作サイドの手の上か…。 いや、Tomokiさんのその書き込みの通り「だけでしか」ないのであれば、おいらは 創作活動をやめるでしょう。
現実にあった「事」を人から聞いて、かつ自分になにも影響ないのであれば、現実ながらも本人にとってはただの物語にしか過ぎないような気がします。 その時に、その物語に対し、自分自身でこれまでの「人を観る目」「身体・精神の状態」「話しをした人間と自分と、相手(人だけでなく社会関係)との関係図」を考慮して 受け答えしたりまた想像したりする。 自分の発言・行動がその物語に対しなんらかの影響があって かつ その事が自分にも影響あるようであれば その時こそ現実という空間にそれは降りてきたものととれます。
なにか似ているような気がします。
キャラの人格(性質?)に関しては ここのBBSでも過去に取り上げられていますね。 たしか おいらもうなずく内容に収まったよう気がしましたが…。
人格はないが性格は発生する。…たしかこういうのについた気が…。
しかし… 何々派というようなくくりにしているのはいかがなものかと思う。
おいらはいずれも「場合によっては」です。 今回の作品、 たしかに おいらが書いているように中絶をした人物の絵がないこと、サラと同じ境遇の子が登場しないという点が残念だったことでしょうけ。(T_T)
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
ああ やっぱ まとまりない文章(T_T) ちなみに そんな文がまだ山盛りあってあなんともつらい…。文章表現力ないってだめねえ(T_T)/ 助けてしえもんさーん(T_T)/Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
作品世界の中の話と、作品世界をふまえた上での現実論では平行線。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
今、僕はこれで完結してるし続編でも出ない限りサラも幸せになったのでしょう。
でも、現実なら (近いことはいくらでもあるでしょう ) そうは行かないのではないの?
サラが、30前後の自立して、出産育児経験がある大人の女性なら、
もう少し素直に受け入れられるんですけどねぇ。
15歳の少女が、生みますでなく家を出て自立しますって相談されても
「ちょさとまてぃ。」と止めてしまいます。
「生きる。」ことに重点を置いた話にしては甘いんでないのっていわれても、
それは仕方のないことではないでしょうか。
アベリアに贖罪を求める強硬派は出てくるだろうし、膨大な死傷者。
まだまだ、大変だ・・・
http://www5.airnet.ne.jp/takasato/
ハッピーエンドだった気がします。Mozilla/4.5 [ja] (Win98; I)
シュウが帰ってきたから。
悲しかったのは、ナブカとタブールとブゥ。彼らだって人並みの生活が
あったはず。そりゃ、たかがアニメの登場人物だから、実際には存在し
ない・・・・。
でも、両親からの愛情や、友達からの友情。そして、彼らも恋愛して、
結婚して・・・と、私達からすれば平凡なことだけど、そんな当たり前の
ことが出来きたはずなのに。
そう考えると、とても悲しいです。
ナブカが死んだときは、思わず泣いてしまいました。
でも、シュウが(というか私達が)彼らの分もこれからの未来、
どう生きていくかが、問題なのかもしれませんね。
勿論、あちらの世界に残ったサラの分も。
本当に素晴らしい作品を、ありがとうございました。
toshi-yk> 単にプロパガンダだという批判は、製作者による選択肢の描写を無視するMozilla/4.5 (Macintosh; I; PPC)
toshi-yk> ことですから作品理解として公平さを欠き、よって批判の内容からしても
toshi-yk> 乱暴で実りが少ないものと思います。
単純にプロパガンダであるのなら問答無用で駄作扱いしていたでしょう。
問題は意図しないのにプロパガンダの様相を呈した事です。はっきり言っ
て決断への過程そのものが安易なのです。死んでいく人間がいまわの際に
「産め」と言ったからそれに心を動かされて産んだという描写自体が情動
主義的で真実味にかけると思うのです。もしもっと真面目にこの問題を描
く気があったなら八話でトレマーズもどきしてないでサラの妊娠について
せめてまるまる一話使って戦乱のどさくさに紛れてではなく日常の状態で
決着をつけておくべきだったと思うのです。そうでなけばその日常に生き
る我々を含む大多数は「あれは極限状態だからああいう判断をしたのだ」
と思われても仕方がないと言う事になります。これは中絶反対かどうか以
前の問題の不満です。これまでの文章だといろいろゴミが入ってわかりに
くかったかもしれませんがこのアニメへの不満はそれに尽きます。
toshi-yk> 僕はこれだけこだわるほど、「押しつけ、プロパMozilla/4.5 (Macintosh; I; PPC)
toshi-yk> ガンダ」といった批判は気をつけて使うべきものだと考えているのです。
別に論評をするのに我々が気を使う必要はありません。言論に制限を加
えるのは極力避けるべきだからです。仮にここで「プロパガンダだ!」と
か「ビデオの不買運動をしよう!」とか言ったところで誰かに迷惑がかか
る訳でもないし(後者の発言は削除されるでしょうが・・・・)別に作品
と作者の能力を批判はしても作者の人格が下劣なものであると言っている
人は少ないはずです。
・・・・・僕自身最初の書き込みで批判してました、これについてはス
タッフの皆様すいませんでした。皆様の「誠意」は13話見た事でよくわか
りました。
まして彼等には次があるのです。何を批判に躊躇する必要があるでしょ
うか?。また迷惑がかかったとしても出された作品に対して意見が付くの
は当然の事です。自分たちが誠意を込めて作ったのに評価されないという
事だけでつむじを曲げるならそれもいいでしょう。まさに一人よがりのハムド
のモデルはここにあったのかと納得するだけです。
作品の出来が良くなかったから作品をむちゃくちゃにこき下ろしたとして
もそれは当然の事です。気に入れば何処までも褒めるのも自由です。
toshi-ykさんは以前から作品をあまり激烈に批判するべきではない
と言い、それが製作者に与える悪影響を心配しておられますがかえって余
計なお世話ではないでしょうか。作者は「誠意」を持ってこの作品をつく
り我々に見せたのですから見た側としてもやはり全力で手心を加えず一切
の容赦無しに批判すべきところは批判すべきだと思います。また明らかに
作者が思考停止して安易な結論を出したなら作者自身のその姿勢を批判さ
れても仕方ないのではないでしょうか。例えそれが間違っているかもしれ
ないとしてもそれを誰かから批判されこそすれやめなければならないと言
う事はないはずです。
残念ながらこの作品は結果的にあまり良い評価を受けなかったというのが
最終回の前と後の書き込みの傾向を見れば一目瞭然ですが、二度と彼等の作
品を見たくないと言った人は小数だったはずです。つまり今後に期待すると
いう人がたくさんいたと言う意味では成功だったのではないでしょうか。