toshi-yk> 次にサラの出産への決断の理由付けですがMozilla/4.5 (Macintosh; I; PPC)
これについては先に述べた通りで低く評価せざるを得ません。非常時の
人間の良心的行動を見た事で子供を産む決意をしたのならそれがこれから
続く日常で続く可能性は極めて薄いからです。何にしても極限状態の判断
と言うものはその場において正しいと思っていても後でしまったと思う場
合が多いのです。そういう状態のときに「産む」という判断をしたからと
いって説得力にかけるのです。多くの人がそれに対する疑問を投げかけて
いるのです。作者としては精一杯努力したのでしょう。しかし努力して作
った結末で感動的でもあるから突っ込みを入れるなというのは無理な話で
す。その口を塞ごうとするのは例えどんな形であっても受け入れる訳には
いきません。
11話で「産む」事をサラが決意していればこういう形の非難は起こらな
かったかったでしょう。もっともその時は僕を含む中絶容認派からやっぱ
り何等かの非難があったでしょうが。これはそういう問題なのです。前に
も言ったとおり現実世界でまさに(中絶反対派が一方的に)暴力を使って
まで争われている問題ですからアニメで扱っても血を見ないわけがないの
です。
僕が中絶容認派であるのは、確かに生まれてくる子供に罪はないし生き
る権利を持っているのですが、出産行為がそれを望まない女性が行うには
重過ぎる負担だからです。これは戦場であれ日常であれ同じ事です。出産
によって母となる女性は精神的に肉体的にも大きなダメージを受けます。
また日常生活においても仕事や、就学の面で負担になることは間違いな
いのです。例えば大学に通えなくなったり仕事を続けられなくなったりも
します。いかに子供に人権があるとはいえ生まれてもいない子供にそこま
での負担を強いられると今度は母親の人権がないがしろにされてしまうと
考えるからです。産んでしまった子供はもはや殺す事も出来ないし結局何
等かの負担を母親にかけるのがわかりきっていてその上母親がそれを望ん
でいないのに産ませるのは子供の人権を守る事より重大な問題です。
一方的に母親の人権を踏みにじらないと生まれてこられない子供が必ず
しも生まれてくる必要はないのです。しかし生まれてもいない子供の人権
の為に母親の産むかどうかを選択する権利を制約するのは筋違いだと思う
のです。これは日常生活でうっかり妊娠してしまった女性にもあてはめる
事が出来ると思います。もちろん母体への影響を考えて判断しなければな
らないのですが中絶の権利を他人が制約するのは筋違いではないかと思う
のです。
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98)
今日はちょっと風変わりな話でもしてみようと思います。
皆さんはガイア説(ガイア仮説)、もしくはガイア論て聞いたことはないですか?
ウルトラマンの話ではないです(^^;)
アメリカの科学者(イギリスだとの話もある)ラブロックが提唱した説でして、地
球を一個の生命システムとして捉えたものです。ガイアというのはギリシャ神話の
地母神でして、大凡すべての神々の母親に当たる女神です。
このため異説(誤った伝聞)としての地球を一個の生命として捉える考え方の方が
一般的だったりするのですが…。
で、何が言いたいかというと、私はララ・ルゥがこのガイア(地球)の化身に思え
るのですよ。水というのは一つの象徴でして、その実は自然環境であり、資源であ
り、地球環境自体のことなのではないかと…。
生物としての『ヒト』はあまりにも生命システムを破壊し尽くして(破滅への加速)
しまいガイアの寵愛を受けることができなくなってしまったと…。
しかしながら、『母』であるが故に最後には『子』を見捨てることもできず、再生
へのチャンスをあたえ消えていったように見えたんですよね…。
ところで、仮にララ・ルゥがガイアだとすると、ギリシャ神話に面白い類似点(こじ
つけとも言う)が見られるんですよ(笑)。
ガイアに対して暴虐を働くウラノス(彼自身もガイアの子供で有り、夫)を倒すよう
に子らに命じます。言うまでもなくウラノスがハムドですね。
で、これを実行するのが時間神のクロノスなんですが、時間と関係すると言えば、シ
ュウであり、サラでしょうね。
ウラノスの最後は男根を切り取られます。切り取られた男根(=ヘリウッド)は海に
落ち、その神としての覇権を失うのです。
ね、何とな〜く類似点がありますよね(^-^)。
まあ、このアトの展開は『…』な感じですので、ホントにこじつけなんですけどね(笑)
本編も最後にファンタジーになってますので、こんな馬鹿な考えもありかなと(笑)
「ママはぽよぽよザウルスがお好き」「ママは小学4年生」「あかちゃんと僕」Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
をおすすめ。 いやまあ アニメゆえにおもしろおかしくしている部分はあれど
考えさせてくれるとこや 泣かせてくれるとこもあるし、 特にあかちゃんと僕では(以下削除)
あちゃー 長くなるので、 機会あったら観て下さいまし、 さらに 現在活躍中の作画の(以下削除)
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
ララルゥが地球の化身だと言う設定であるというのはおおむねMozilla/4.5 (Macintosh; I; PPC)
そのとおりだと思います。
久城> ガイアに対して暴虐を働くウラノス(彼自身もガイアの子供で有り、夫)を倒すよう
久城> に子らに命じます。言うまでもなくウラノスがハムドですね。
久城> で、これを実行するのが時間神のクロノスなんですが、時間と関係すると言えば、シ
久城> ュウであり、サラでしょうね。
久城> ウラノスの最後は男根を切り取られます。切り取られた男根(=ヘリウッド)は海に
久城> 落ち、その神としての覇権を失うのです。
深い読みかたしますね。ギリシア神話と絡めるなんて。でも結構当
たってたりして。話を作る上でベースにしたのがこういう神話の類で
あるっていうのは結構ありそうな話ですからね。いやすぐに確認して
みましょう。
:カザムについて。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
まず、悪いヤツ、いいヤツ、というのは、
「自分にはいいやつ、その逆」
「自分には影響はないが、自分の持つ倫理観でいいヤツ その逆」
「自分にはいいやつだが他人には悪いヤツ、その逆」
「自分にはある面悪いやつだが、この面はいいやつだ」
に別れると思います。 もちろん、 裁量は断定できないので、「悪いやつだけど許せる範囲」「いや 俺は許せない」等々あると思います。
じゃあ ヘリウッドは?。 ヘリウッドに敵愾心のある人たちには「総評 悪い存在」かと思います。 じゃあ その逆は?
このヘリウッドの兵士達は もともとヘリウッド出身の人間といろんな村から徴収された人間という事を考慮しましょう。
そして、この兵士達の(視聴側として)やや救われる部分は 彼らが遊び半分で殺戮しているシーンがなかった事です。 それぞれの思いを抱きつつ、もしくは思考する事をやめたものも 「ただただ、命令に従っている」のです。 もし、そのシーンも盛り込まれているようであれば 私見も変わっていたでしょう。
「遊び半分でない」ではないのが 2話で タブールがららるーを(反発心、遊び気分、虫の居所が悪い等々)こずいたりけったりしています。 あとは6話でサラに殺された兵士。
3話の兵士がどういう思いは うまくつかめません、本人本意が強いような気がしますが なんせ うつろな目なんでなんとも…。
「遊び半分でない」の助長として、13話では牢獄の兵士が酒をかっくらって なんとなく 酒場でクダまいているリーマン状態なってますが、 これは 自分の中にある先程の蹂躙作戦でのモヤモヤした気持ちを殺すつもり…ともとれなくもないです。
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:では カザムは?Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
カザムですが、、5話で「行為」の2人目(なぜ あの時点で2人目といえるかというと、 4話終了直前に 兵士達の列に1人目の男を見つけ、彼だけにしか反応しなかったからです。)のカザムは 行為の前にサラに名前を告げ、そして名前を聞いてます。結果として行為は行ったと思われますが、 この名前を告ぐ、聞くというのは気持ちを解きほぐすのと、なにより行為の時に名前で呼んだほうが、人としての扱いと(彼女に)とらえられるからです…が、 彼自身 どこまであざとい気持があったかないかは計れません、 彼自身の性癖やもしれませんし。
また、4話でのサラの牢獄でのハンカチを手元においたのも、彼なりの優しさともとれなくもないです。 いかんせん冷めた目の顔立ちなので「ああ この娘もかあかわいそうに、まあ(現状がこうだから)仕方ないよね」と受け取れ…なくもなく…。
彼の(行為を限定として)対照ととれるのが、3話目と6話目の兵士達かと思います。 特に6話の兵士は任務のためと口にはしてますが、いやおうに自分本位がプンプン感じさせてくれました。
「救われる部分」に当たるわけではないですが、「行為」の際、相手が同時に複数ではないという事。 ここらへんの統括は それすらも任務ということの助長にとれなくもないですね。
そして、ザリバースに進入しての活動。 これらを通して 彼もまた「任務に忠実な兵士」ととれ、 5話のソレも「任務としていやおうなく」という気にとれなくないです。
おいらは11話の段階で「任務に忠実で しかもほれっぽい男」だけと思いましたが、13話のそれで、 まあなんとかですが、(自分の良い悪いの加減)「本当に悪いやつではない」という事にたどりつきました。 ただ、 あの濁流で子供を助けたあと、 サラが手をのばさずとも、 もう一度、たがいに目が合うシーンがあれば… やはり印象が変わったかもしれません。(サラに対しても)…っていうか印象に深みが増すっていったほうがいいかな。
しかし、これだけは言っておきたいのですが、今もサラ自身にとっては「戦争だから」ではないと強く思っています(過去ログ参照)
ただ、カザムについては「戦争だから」とうのが強くおいらの中で働きます。
:追記
今回の作品、善悪を問うではなく、この書き込みの前哨文をふまえて、良いヤツ悪いヤツっというので思考したほうが良いような気がします。
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わかめさんの「要請」があるんで、なんか緊張してしまいますが(いや、まあいい意味でのプレッシャーですね)、サラの番です。しかし、ララ・ルゥーに比較して、サラについて書くのは難しいですね。MINEさん、「らら・るぅー」お褒め頂いて有難いです。(しかし、ほんとうは仕事が忙しくて、こんなことしてる時間は無いんだよー、他にもレスつけたいとか思うけど、自分の考えをまとめるだけで大変だ。)Mozilla/4.51 [ja] (Win98; I)
サラこと「仲尾あづさ」さんは(サントラCDの名前間違ってる・・・)、大地監督の作品ではイジメられる役が多いです。「こどものおもちゃ」の三屋先生(生徒から)とまみちゃん(同級の男子生徒から池に落とされて・・・これは本当に酷いシーンだが、原作通りのエピソード)とか、「おじゃる丸」のうすいさちよ(電ボに毎回「肩書」を連呼される・・・名前もひどいよなぁ)とか。まあ、役回りとして苛められるのが似合ってたりして・・・って俺も酷いこと書いてるなぁ・・・。
まあ、この前振りはあまり本文に関係ありません・・・・ォィォィ
最終回にきて、なんとなく非難が集中してるようなサラですが、「目には目を」という、被害者には当然、敵討ちの権利を与えるべきなのに、それを怠ったのだから製作者が悪い思想の持ち主だというあたりに、意見が収斂されるのじゃないかと思えます(何?違う?まあどーでもいいや)。
サラは初め、何も出来ないか弱い女性という感じだったけれど、「砂嵐に消える」の回で、「実力行使」に出た(恐怖から逃れるとか、嫌なものは嫌という意味もあるけど)。だけど、その行為を、嘔吐(妊娠説もありましたが、ひとごろしの「気持ち悪さ」かも)したり、全てを投げ捨て、裸同然で砂漠に出る(自殺行為にも等しい)という形で後悔をしている(冷静に判断が出来なくなっている)。それは、後になって「人殺しまでしてしまって」、とシュウに告げていたことからもわかる。
その後、シスに助けられてどういう経過があったのかは描写されていないので何とも言えないのだけれど(まあこのあたりの描写さえあれば・・・)、取り敢えず自分の感情を棚上げしていたのに、シュウとララ・ルゥーを見て感情が爆発し、ララルゥーを殴り、実際に自殺しようとした。破壊願望が内(自分)に向かっているので(それは性格にもよることだろう)、加害者に対する憎悪を頼りに生きていくという選択はしていないということだろう。
12話で、ザリバースの危機をシスに伝えたり、ララ・ルゥーを差し出してシスを助けようとしたりと、シスとサラの信頼関係は強くなっていた。3話の頃、自分が何故こんな酷い目に遭うのかと、他人のせいにするかのような言葉は消え、自分で考え、行動できるようになっていた。それは、自分より下の「子供」達と接するようになったせいもあるかもしれないし、シスの影響もあるのだろう。Mozilla/4.51 [ja] (Win98; I)
そして、シスの死を看取った後、子供達を必死に守るサラの凛々しい姿が印象的。人は死んで何を残すのか。そんな言葉を連想した。そして、その子供達の中には怯えていた「敵」の少年兵もいた。あの軍服を着ているにもかかわらず、自分の忌まわしい経験は既に「過去」となったのでしょうか(消えたわけではない)。そして、自分の子供も・・・。
少なくとも、シスの子供達にはサラしか頼る人がいないのです。この世界に残ると決めたのは、この子供達を見捨てて、後悔する事を選ばなかっただけでしょう(迷う描写が無かったが・・・シスの遺志を受け継ぐという意味もあるだろう)。子供っぽい過去の自分の考えよりは、今、こうして誰かに頼られる自分の居場所を大切にしたいということではないか・・・強制されて選んだわけではないし、確かに美談に過ぎるきらいもあるかもしれないのだが、一つの選択として十分あり得る。
最後、アベリアに対しての描写も、以上の経緯から、個人的には自然な流れと思える・・・。憎しみで生きるよりは、罪を赦すという姿勢で生きていく方が、「破壊」よりも「創造」していく方が・・・。(母性というのに近いですが、どちらが「楽しい」かというあたり・・・こどものおもちゃの「生きてるだけで丸儲け」とか・・・シュウの言ってた事にも繋がるが細かい説明は端折る)
こういう感じで「理想」を描いてもいいんじゃないか。もちろんこんな理想が簡単に通るほど、今の世の中は甘くは無い・・・だから「甘いこと言うな」といらいらする人達もいると(別にここに限ったことではないと思う)・・・まあ、でもそういう現実が「全て」ではないのも確か。
あくまでも、「今僕」は「フィクション」なんだから、何かしら「現実」に影響を与えるようなインパクトは得られたので(それはここでの出来事・・・空理空論に終わる可能性も無きにしもあらず、だが)、それはそれでいいのでしょう・・・とりあえず「どきどき」した事は残ったんだから、素晴らしい時間をありがとう、と。
(次は、誰? スーン?^^; うーん、声優ネタならブゥも捨て難いと・・・)
皆さんそれぞれの今僕に対する感想を読ませていただきました。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; MSN 2.5; Windows 98)
物足りない、と感じる方も多いようですがジアンも多少そうです。
特に、やっぱりサラの決断。
憎まれるために産まれてくる子供なんていない(byシス)
本当にそうでしょうか?
ジアンがサラだったら絶対おろします。
これについてはかなり考えさせられましたが絶対生みません。
子供を産むって事は生まれてくる子の人生に対して責任を負わなきゃいけないし
それに自分に無理矢理酷いことをした相手の遺伝子を残そうと思えないからです。
そしてもし今、恋人との間に子供が出来たとしても必ず生むかどうかは分かりません。
自分が子供を育てられる程大人だとは思っていないし(年齢的にという意味ではなく)
まだまだ子育ての他にも自分がやりたいことがいっぱいあるからです。
多分、ものすごく傷つくでしょうが、でも、ジアンは自分の方を優先させます。
それにサラって結構自己中な子ですよね。
自分に不幸なことがあったからって、それを理由にシュウに八つ当たりとかしていたし。
彼女の不幸な出来事は決してシュウの所為じゃないのにね。
後彼女自殺しようともしていましたよね。まあ、アレはショックによる一時的なものかもしれませんが。
子供をおろして、犬に噛まれたと思って生きていくことだって出来るのに。
だからでしょうか、サラの決断に疑問を感じるのは。
あの子だったら絶対あんな事は選ばないと思う。
自分の世界に帰って子供をおろすと思う。
まあ、それなりに苦い経験をその後の人生に生かしながら。
今日はそんなとこです。では。
ああ またしても 水城さんに良いテキストを〜〜(T_T)/ おいらが今から書こうとしてたこととか 足りない部分とか 盛り込んでます。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows NT)
ありがとうございましたーm(__)m(^_^)/
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