過去ログを全部読みました。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 98)
なるほど、人それぞれいろんな感じ方があるものなんですね。
それに触れられただけでも、このアニメに出会った価値はあったな、と思います。
私の感想は、アニメ全編を見てから書かせていただきます。
(私は極めて楽観的な人なんで、期待はしないでください^^;)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~su1/
はじめして。Mozilla/3.0 (DreamPassport/2.1)
「今、そこにいる僕」、遅ればせながらレンタルビデオで6話まで観ました。最初は、ネット上で観たセンセーショナルな内容が気になってしまい、観るに至ったという事実は否定できません(放映以前から多少は気にしていましたが、その時はBSが入らなかったもので)。一応、ストーリーのダイジェストをネットで観たので結末までの大まかなあらすじは知っています。何から話せば良いのでしょう・・・。先ず、第一話を観たときに秀逸に思えたのがシュウの「現実逃避願望」を微妙に感じさせるような演出が為されていたことです。「生きていればいいことがある」という言葉も自身に言い聞かせているように採れました。夕日に無頓着な所、剣道着を置いていく所等もシュウがやがて50億年後からこの場所に帰ってくることを前提とした布石というふうに感じます。ララ・ルゥに関してはやはりヒトではなかったのかな?という感じです。その辺は突き詰めてもしょうがない所でしょうね。個人的には地球から失われた水を具現化した存在だと思っています。50億年後の人(人じゃないんだっけ?)にとっての「希望」の様な物、結果それを奪い合う形になっていくことで彼女は人に対して心を閉ざしたというところでしょうか。サラとの類似性に関しては便宜上の必要要素の一つというくらいですよね?、多分。・・・つづく
つづきMozilla/3.0 (DreamPassport/2.1)
サラの扱いは・・・正直ツライものがありますね。結果的にシュウとサラという現代の人間がそれぞれ「そこ」から「帰る理由」「残る理由」を見出したというふうに思っています。シュウの「帰る理由」は語弊があるかもしれませんが、「そこ」にいる間、何もできなくても変わらずに在り続け、手を汚さずにいたこと(サラは受胎の他に人も殺していますよね)。理由という言い方はやはりおかしいかもしれませんが、そこは大目に見てください。サラは「そこ」に残り、子を産み、育て、シスの想いを受け継いでいくという役目を背負い、シュウは現代に帰り、「そこ」で起きていた事実を受け止め、同じように決して居心地の良くない世界を精いっぱい生きていかなくてはなりません。シュウは現代で戦争の凄惨さを人に伝えていく役割も持ってしまっていると思いますが、それはシュウ次第ということで、「シュウ=視聴者」という形に帰結しているのではないでしょうか。戦争というものに僕達がリアリティを感じることは物語等では到底できないでしょう。やはり実体験以外に方法は無い。「今、そこにいる僕」の50億年後の地球という途方もない時間の隔たりは、現在でもどこかの国で同じ時の中で起きている戦争をテレビで見るだけのリアリティの無さというものへのメタファーというふうにも思えます。それと、「いつの時代に生まれて来ても確実に滅び行く地球に僕達は生きている」ということ、だから「今をどう生きていくのか」ということを個人的に考えてしまいました。
何しろ映像の方はまだ半分以上も未見ですし、根っから頭が悪いので何を書いているのか分からなくなってしまいましたが、ご了承願います。最後まで観るとまた印象が変わってしまうかも知れませんが、掲示板での皆様の発言等も(全てではなく、ある程度ですが)見させて頂いた上での僕の感想です。この様に多くの方々が問題喚起される作品というのは、理由がどうであれそう在ったものでは無いと思えるので、作品自体や掲示板のやり取りなど共に、やはり意義があったのだと思います(個人的願望も含む)。僕自身いろいろ考えさせられ、勉強になりました。
最後に、「今、そこにいる僕」のスタッフの方々、ここの掲示板に書き込みをされた方々へ
「ありがとうございました」
すごく面白いアニメだと思う。Mozilla/3.0 WebTV/1.2 (compatible; MSIE 2.0)
9話のラスト、シュウの言葉。
「あいつも正しいと思う。
でも、同じくらい間違ってる・・・」
あぁ、これがこの作品のテーマかな、と感じた。
シュウは優しい人だ。
そして、強い。心の強さっていうのかな。
自分もこんな性格だったら、と思う。
「明日がある、いいことある」
彼の口ぐせ。
未来への願望、とも言えるけど、
明日の為に努力している人でなきゃ、この言葉は言えない。
50億年後の世界ということらしいけど、
どこ行ってもおんなじことなのかも知れない。
そういう、話なのだと、現時点では感じました。
はじめまして、「今、そこにいる僕」が終わってからもあの後どうなったのだろうMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows 98)
ということが心配でなりません。煙突が消えてしまったし・・・
僕が「今、そこにいる僕」と出会ったはいつも楽しみにしているNHK−BSの番組が終わり、どこか面白いところ無いかなぁとチャンネルをいろいろ見ていたら、たまたまこのすばらしい作品と出会いました。
自分の家でBSが入っていなければこのすばらしい作品とは出会えなかったのです。
一話から最終話まですべて見たのですがまた見たいという感情が押さえきれず、
第1巻のLDを購入、その後はビデオレンタルで見ています。
続編が出てほしい。そう願うばかりです。すばらしい作品ありがとう。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/nyannyan/cc-sakura/
初めまして。放映終了後にとりためておいたビデオを見始め、先日やっと終わったので、遅ればせながらここへ来た次第です。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Mac_PowerPC)
私は映画、芝居、テレビドラマ、小説など、(その題材がフィクションであれノンフィクションであれ)人の創作したドラマが好きなので、アニメーションもそういったものの1つとして見ています。私が創作ドラマに魅かれるのは、作品の中で醸し出される、リアリティの強みというものを非常に面白いと思っているからです。ここで言うリアリティとは、現実に近い、という意味ではなく、作品内リアリティというやつです。この作品に関して言えば、その点にはとてもがっかりしました。出て来る人物人物全てが、既存のアニメや漫画に出て来るステロタイプな人たちばかりで、この作品のために造られた人間だとは思えないのです。こういった人たちは、確かに勇気、信頼、希望、愛情などの様々な生の大切さ、素晴らしさを訴えて来ましたが、それは明るく爽快なドラマの中での話です。しかし、この作品のテーマを背負わせるには、まるでちぐはぐな世界の住人なのです。
サラの決断には、シナリオの安直さを差し引いても、何か奇妙な違和感が残るなあとは常々思っていたのですが、過去ログの中のプロパガンダ云々の論争を見て、やっと思い当たりました。私はサラの選択に関してはプロパガンダだなどという印象は一切受けませんでしたが、作品全体に視野狭窄的なところがあると感じたのです。今までのアニメーションが描かなかった、戦争の残酷な側面を持ち出しているのに、それをはねのけるのに、「一本気な少年」という既存のキャラクターと何ら変わらない人物の「生きていればいいことがある」という考え方で、戦争批判の姿勢を貫こうとするのには無理があり、最終話のハッピーエンドがことのほか浮いてしまうのは、ステロタイプなキャラクターたちの持つ定番性が明らかにカセになっているのです。
この作品の試みはとても良いし、「生きていればいいことがある」というのはすごく良い言葉です。しかし、テーマも言葉も良いだけでは済まされない、それを裏打ちするだけの大変な背景があって、それを実感として理解することが大切なのです。残念ながらこの作品では、そこのところが全然だったように思います。他の創作ドラマの手法に比べて、アニメーションは軽視されがちですが、その自由度は素晴らしく、もっともっと躍進できるはずです。また、年少者にも受け入れやすい媒体であるという利点もあります。そのためには、スタッフの方々には、物事を広くとらえて、もっともっと「考えて」創って欲しいと思います。
かなり断定的に言い切っているような語調のところもあったかと思いますが、それは私がそう感じただけですし、この作品のリアリティを全面的に肯定して気持ち良く見ていた方には、大変申し訳ない意見だと思います。ただ、テーマが扱うのは大変難しく、それだけに大切な問題だっただけに、その描き方にちょっと憤慨してしまったのです。また、過去ログも全てに目を通したわけではないので、重複した議論がなされていたり、この場には相応しくない発言だったとしたら、ごめんなさい。
DVDを買ったけどプレステ2が手に入らない。いつになったら見れるかな?Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
今、ビデオを見なおしていて気が付いたんですが『逃れの夜』の話のときシュウがナブカに「一緒に逃げよう。」って言いますよね。あの時誰かが(おそらく少年兵士隊の隊長と思われる人物)声をかける寸前ナブカは一瞬微笑ました。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
ってことはあのまま声をかけられなければナブカはシュウと一緒に逃げていたのかもしれません。
そうなれば、また違う展開も考えられて面白いと思いました。シュウと一緒に逃げていればナブカは自分の村の全滅ももっと早く知る事が出来ただろうし、あんな最後を遂げる事もなかっただろうと思います。
でも私はあのナブカの最後には悔いはありません。むしろシュウに最後の勇気を出させたきっかけになったと思います。ていうかどういう展開になってもナブカは最後に命を絶ったと思います。(たとえシュウと逃げていたとしても村がなくなっていたことと今までの自分がしてきたことでの後悔でいたたまれないと思ったから、←これは私の完全な独断意見ですが…)
…何だかはじめと書いていることが矛盾してきましたのでこの辺で終わりにいたします。あ、言わずと知れましたが私はかなりのナブカFANです(^-^;)
おお、まだこのサイト残っていたか。ちょっと感動。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 98)
今思えば、いろいろな論客たちが、激しい議論をしていたなあ。
MINE氏や久城氏、天野氏とか、凄かったよ。分析的で論理的な物の
見方は、非常に勉強になったと思う。最近まで書きこんでるtoshi-yksさんは
物語の後半ぐらいから登場したけど、正直文章のかたさ(精密さ)にびびったなあ。
みんな、何やってんのかな。
すんごい昔に二度ほどカキコさせて頂いた氷室京と申すものです。Mozilla/4.51 [ja] (Win95; I)
友達からビデオ借りてやっと全部みたのですが、もし僕だったらああいうエンディ
ングにしなかったろうな。ハムドは死なず、戦争が続いたまんまシュウが現実世界
に戻って来ちゃう。「あそこではまだ戦争やってるんだ・・・」みたいな。
友達には「オマエはホンットに極端だな。ハッピーエンドかバッドエンドかそれし
かないのか」と言われましたが、その方が悲惨さがより強調されるような。
でも、もっとアニメ誌で取り上げて欲しかったなあ・・・