わしが小学校6年の時、「無敵超人ザンボット3」ってアニメがありました。Mozilla/3.01 [ja] (Win95; I)
その時はまだガキだったので、このアニメの凄さはあまり感じてはいなかったけど
自分のトラウマになったのは確かだった。
知ってる人も居ると思うけど、これはサンライズのロボットアニメです。
監督は、富野善幸。それだけで、なんとなく分かるだろうけど、これは
その時のロボットアニメの常識を、覆してました。巨大ロボと敵が町中で戦えば
どういうことが起こるかを、めっちゃリアルに描いてます。
つまり、その場にいる一般人達は、家を失い、家族の誰か、親友を失う。
こんな当たり前なことを、正面から描いてます。
だから、主人公達(ロボを操縦してる3人、しかも全員中学生)は皆から迫害され
街の人たちは難民となって各地に疎開する。
つまり戦争を描いてるんだよね。富野さん自身が戦争体験者だからね。(まだ子供
だったんだけど)
しかし、この作品の一番の悲惨は、人間爆弾が描かれてること。
敵(こいつらは遊び感覚で侵略しているとこが恐い)が、人間を手っ取り早く皆殺しに
する為に、攫った人間を改造したもので。
改造された人(改造された記憶はない)は、各地に放たれ自分の故郷、自分の家族の元
に帰っていく・・そうして時が来ると・・・・・・
そして、これに主人公の大親友(女の子)アキが、改造されてしまうのだ。
この回の予告は、ものすごく辛かった。ウソだろ、って思ってた。でも・・・・・
そして、最終回に向かって、どんどんと主人公の仲間たちが・・・・・
最後は、あえて書きませんが、賛否両論がでたみたいです。わしはこれが1番だと
思ってますけど。泣いたし。いまでも泣けるし。
最終回見る為に、遊んでた友達の家から走って帰ってきたし。(ビデオなんてなかったからね)
「今僕」は「ザンボット」と同じく、久々に痛みを描いた作品です。
それは、あまり好ましくはないけど、確実に残る作品じゃないかとは思います。
願わくは、ちょっとでもいい、なにかしらハッピーエンディングを思わせる様な
終わり方を迎えて欲しい。完全なのは望めそうにはないから・・・・・・
あなただけじゃありません。私もですよ。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 98)
「今僕」が50億年後の世界だったなんて、今日知りましたよ・・・(汗)
このホームページも。第13話の予告をビデオで繰り返し見ていたら、
(あーあ。いい笑顔してるよ〜・・・・・・・あぁ!?)
でした。近くに「今僕」見てる人居なくって、かなりうれしかったですー!
12話、すごい終わり方でしたが、どうなっちゃうんでしょうか?
皆の予告みたいな笑顔が見たいですネ・・・本当に。
ナブカ、死んじゃヤダー!!シュウがんばって!!
と、いうわけでえんじ。さん、貴方だけじゃありませんよ!
さっき、ビデオのところ見たらvol.3の表紙の絵ができてました!!Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 98)
もう知ってる方のほうが多かったかな?ところでなぜ先にvol.3?
なんかハムドとアベリア、後ろにヘリウッドの兵がいるみたいな絵でした。
ビデオといえば、私の住んでるところは田舎だからか、
「今僕」のビデオを売ってなかったんで注文しちゃいました!
だから、手に入るのはvol.2が出る頃かも。遅い・・・。
あ!そーいえばかなりどーでもいいことだけど
WOWOWのプログラムガイドに12話の解説が載ってて
それにサラがエランバによって傷をおってしまうってあってけど
それって、シスのまちがいじゃ・・・???
なんかのアニメ雑誌にも同じように書いてあったけど。
現にサラ、妊娠はしちゃったけどエランバに傷つけられてないし・・・。
ああ!!最終話まであと4日!もう終わりかよ〜〜って感じです。くすん。
うわー、うわー。みんな、書き込んでますね。以前来たときあんまりなかったけどな。それだけ、知名度あがってきたのかな。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98)
う〜ん、辛い作品ですにゅ。どきどきしちゃうですね。
あ、50億年後の世界なんだ。初めて知った。
最近、子供のときのような素直な感動を失くしてしまいました。アニメの中で、好きな登場人物が死のうと、苦しもうと、淡泊にうけとめちゃうんですね。まぁ、制作者の意向なんだし、受け止める側が何を思っても無駄でしょ? みたいな。
そういう考えが強くなるにつれ、段々何にも執着しなくなっていってたんですな。
実際、ブゥとスーの二人が倒れたシーンも、ありゃりゃー死んだかなー? ってね。あ、こらこら。石投げちゃダメだよー。
でもね、ドキドキしたんです。胸がキューッみたいな。締め付けられる感じがね。最終予告の六人の笑顔も。ゾクゾクしちゃったんです。いいなぁ、って。ほわほわって暖かい感触。否定的な意見とか、まぁ、当たり前じゃないかなぁ。結構辛口な作品だし。でも、私は好きな作品かにゃ。ちゃんと、優しいよね。辛くて、悲しくて、怖くて、けどちゃんとあったかい。素敵なアニメだと思いますよ。
>水城瑞穂さんMozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.5; Mac_PowerPC)
僕が過去行ってきた書き込みの内容と照らし合わせて、別に僕の意見を特別念頭に置かれたわけではないでしょうがいくつか批判的な形で係わりを持つ点があったのでレスさせてもらいます。ただ、是非を問う議論をするつもりはなく、あなたの意見に対する一つの別見地として受け取っていただけると幸いです。「それでいいの?」と懸念を発することは、意見変更の強制とは別ですから。
>まず、この作品に関して、否定的な見解を述べる事に、本人以外にどれほどの意味があるのかという事の疑問があります。
>(まあ深くは追求して欲しくは無い・・・要は「嫌い」だということなんで)
僕は、「今僕」のような作品こそ、批判点があればきっちり指摘する必要があると思っています。ただしそれは、第三話に対する一部の否定意見(おそらく十二話に対しても出るであろう)のような、抑制された表現に伺える視聴者への配慮(逆にこれを手ぬるいとする人もおられますね。僕はそうした意見にも与しませんが)も、作品内の文脈も全く無視して、「強姦を描写した」という観念的把握から一方的な非難を展開し、描写を、ひいては作品全体を全否定する、といったゼロサムな形ではなく、という留保付きですが。ただどうも批判という言葉は否定とイコールに見られがちだし、以前他の方が問題にしていた評論と視聴、現実の援用と非援用の対立を回避するために、疑問と置き換えます。作品を見て「感情移入しつつ、なぜこんなことになっているのだろうと考える」視点です。
>だから、そもそも客観的に理屈を積み上げたところでは、何もこの作品に関して理解した
>ことにはならず、「痛い(泣いたり、ショックを受けたり等々)」と「主観的」に感じなければ、
>この作品に関しては何の意味もないのではないか、と個人的に感想を持っている。
必要条件ではあるでしょう。ただ十分条件ではない。理屈というと語弊があるので「言葉」と言い換えますが、「客観的に言葉を積み上げること」で得られるものもあるのです。
>現在、日常に飽きた連中が、軽はずみに、「戦争」を唱えたりするのが流行っている(相手はどこでもいい・・・「悪の組織」とレッテルを貼れば・・・)。
>ナブカが「暗殺者の村」だと切り捨てて、殺戮を何の躊躇いも無しに行動することとに重ねられるかもしれない。
大部分がそうした単純思考な動きがあるのは事実でしょう。ただ、そうした退屈しのぎの伊達酔狂だけで「戦争」を口にしているわけではない人もいると思います。頭から馬鹿にするだけだと、相手がそれなりに説得力のある言葉を出してきても対話が出来ません。戦争は基本的にイカレた行いにもせよ、そのイカレをやらせる理由は常にあるのでしょうから。そしてそれは基本的には社会の自己保存の観点からみて一定の合理性を持っています。月並みな知識ですが、軍隊未満ではあれ自衛隊が大口の就職口・消費主体であり、日本の経済大国化が朝鮮戦争の特需をスタートダッシュにしたといった経済的効果と共に。こういった合理性を考慮にいれたうえでの反論でないと、「戦争をしないリスク」を引き受けることは出来ないでしょう。
>13話だから、時間は短いけれど、悲劇が起こる前の、それなりの退屈とも思えるMozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.5; Mac_PowerPC)
>(いや、退屈だと感じる事が、本当はその大切さを何もわかっていないことなだ・・・)日常の描写をやることに。
>3話に対する、1、2話。12話に対する8、9、10、11話という感じか・・・。
僕は8-10話にかけて、何度か物語の退屈化を指摘しました。ただそれは、あなたが批判しているような、単に「日常はいいから、もっと描く価値や意味のある戦争描写をやってくれよ」といった、もっともそうで傲慢なだけの意見ではありませんでした。「今僕」における日常描写の描きかたそのものを疑問に付していたのです。略奪の回における村の描写で危惧はしていましたが、まさかあれだけナイーブな形で理想化された自律共和の農村社会が描かれるとは思わず、あれだけ近代戦を彷彿とさせるシビアな描写しといて外に出りゃなんだこの何の問題もなさ気な能天気な社会は、と。内部分裂が描かれたので軽減されましたが。
そしてザリバースのぬるさと対極を描くヘリウッドの根無し草無法集団ぶり。集団が略奪のみを収入減とする(つまり「軍人」のみの集団)ことは、集団がヘリウッド並みの(社会と呼びうる)規模になればナンセンスです。これは過去の遊牧民社会すらそうだった。またこれでは、形式的なきらいがあるとはいえ文民の同意の下に(ヒトラー第三帝国だって大日本帝国だってそうです)行なわれる現代の戦争は描けない。ハムドみたいな自分オンリーなガキは普通は一国の指導者にはなれない。
総じて、「今僕」には農村と軍隊はあっても、都市が、商業が無いのです。これは一見理想的なその社会に娯楽が欠けていることを推察させます。ともあれ宮崎アニメを始めとしてアニメが現実を描こうとすると、文明の本質的要素の一つである都市・第三次産業が、寄生者として疎外されてしまう。特に戦争が絡むと、都市・第三次産業はよくて必要悪、悪くて略奪者である軍隊にカリカチュアライズされます。
また、湾岸戦争やユーゴ紛争などで、後知恵でしかないとはいえ、「なぜああした行いが可能になったのか」を追及すると先進国が勢力均衡を狙った政略が重要な要因の一つを担っていたりするようです。「なぜヘリウッドがあそこまで突出した軍事力を?ハムドがあそこまで権力を集中して掌握?」という問いに「今僕」が作品内で答えることはなさそうですが、
これらの問題点や欠如は「今僕」を全否定する理由にはならないにもせよ、疑問に思い、知りたいと思うことは大切だと思います。
>いくら言葉や「表現」で訴えようと、実際に経験しない事には、「基本的」に「理解」出来ないことであろう・・・Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.5; Mac_PowerPC)
>擬似的に(決してヴァーチャルという意味ではない)経験出来る可能性はあるかもしれない。それが、多分、「そこにいる」という意味かもしれない。
これには賛成です。体験していないこと、本質的に伝達されえないものをいかに理解するか。戦争に関してはこの問題は第一次大戦後の参戦者と非参戦者との間で持ち上がったのが最初の大掛かりなもののようですが、これは戦争体験の無い人間が戦争を考えることだけでなく、世代間の断絶その他、いくらでもある問題でしょう。ただ前にも書いたように、そのためには、客観的な言葉を排除することは逆効果だと思います。客観的な言葉で相互伝達可能な「浅い」レベルで問題を突き詰めることも必要だと。
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物語が終盤を迎え感動の表出が書き込みの多数を占めている現状に水を差す内容で不快に思われる方がいれば申し訳なくもありますが、同時にこの程度の理屈で粉砕される感動ならとるにたらないとも思いますし、僕の感動は粉砕されていません。
おいらも 幼少の頃ザンボットでやられた口です。 主人公の女友達(友達以上恋人未満みたいな)が 1話目以降20話近くだったような気がするけど、 とにかく 生死がわからないままで、ひさびさの再会。 1話の時点でほんとに女友達みたいな関係なようだったのが、どこか意識するようにな主人公。 しかし 再会から数時間後にベース内主人公の部屋で爆死。 彼女の着替えの時にチラっとみた背中のバツ印のキズに疑問を持って部屋を後にする、しかしそのキズが人間爆弾の証とわかり、部屋に急ぎ戻ろうとしたが…。 たしかこんな感じですた。 最近になって再び観た時に、 おいら 上の文章分だけで1話使っていたと勘違いしてましたが、 実は上ってAパートで納めているとゆー。 でラストで主人公の部屋(彼女の爆死した)をベースからユニットとしてとりはずしているのを思い詰めた表情でじっとみている主人公、ってな具合なんですねい。Mozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows NT)
ひさびさの再会でわき上がる気持ち、わき起こるほのかな想い、しかし爆死、この急転直下な落胆はきついでせうねえ(T_T)
そんで、やはり あの敵(ブッチャー)が遊び感覚でやっているってのにはかなり複雑な心境でかつ腹立たしい気分でした。 過去に軍人が占領下の市民、女子供をひまつぶしに暴行したり殺したりするような…。
(ちょっとお話)*****************
南京大虐殺、実はこれより前に どこだったかの日本人村で村人全虐殺があったのの報復が込められているという話しをする人もいます。 その虐殺後の現場の写真を説明に展示したのをその話しをふくめテレビで過去にやってました。 中には身重の女性の局部に銃剣をさして胎児をひきづりだしさらにその子もというような写真(と説明)が。
ただし、おいらとしては、写真があるから事実と断定できず、プロパガンダや情報操作などの可能性があり、 相変わらず「らしい」「と思います」とゆーおいらですた。
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ザンボット、クライマックスは1話分で怒濤のごとくやるのでなく、2、3話くらいでやってたような気がしますが、それでもラストは泣きました。 2人によって地球に帰還させられる主人公、動かない機体の中で主人公は2人の最後の声を聞けないままにずっと泣き叫んでいるという、 熱血漢あふれる主人公、なのに最後の最後はなにもできないというはがゆさが辛いくらい伝わりましたげ(T_T)/
なお、このビデオが発売されるときのキャッチコピーに「地球のために家族を犠牲にできるか!?」みたいなのがありました。 うひ〜〜(^_^;。
ぬ!? この作品、おいらにとって 佐藤さんの提唱する「親近感、身近」の部類なのかな? とすれば、 この作品も(ランボーに続く)もう一本です(^_^)(^_^)。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
主人公の じんかっぺいって 大山のぶ代なんだようねえ(T_T)Mozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows NT)
(にやり)
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mine-
だから、見られないって人多いんですよね。ザンボットって。Mozilla/3.01 [ja] (Win95; I)
たしかにドラ0モンなんだけど・・・・わしらなんかは、先にザンボット見てるから
あ、勝平がドラ0モンやってる、になるんだけどね。
主人公が直情径行な熱血漢なとこなんか、シュウと勝平って似てたりするなあ。