この掲示板を見ていてMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
全部書いてないのに、ENTERボタン押してしまった! この続きもう少し待って!Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
『犯された女は汚い』ゆえに主人公とは結ばれない。『犯された女は汚い』ゆえにMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows 95)
現代社会にも受け入れられない。わけわかんない世界にとり残される。
一方で、犯した男側は徹底的に断罪されず、おためごかしな人間性を描写されて、
「最後にカザムが好きになりました」なんて感想をあざとく引き出したりする。
こういうマッチョな思想は、戦争肯定に根底で通ずるものがあり、ハムドという
独裁者に罪を矮小化することによって、それに荷担したナブカやアベリアまで
も(!)裁こうとはされない。ハムドは裁かれたのに、だ。
http://www.lares.dti.ne.jp/~kid-a/
サラは妊娠したけど、設定ではMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
>現在(1999年)の人類は滅亡し、社会を形成しているのは何世代も後の似て
>非なる種族であった。
となつてるから自然妊娠はかなり無理があると思うのだけど・・・
遺伝子を弄くれば相手がチンパンジーレベルなら可能みたいだけど。
それに50億年後の世界に残るのもどうかね?
色々問題があるけど、生活習慣が違うし、満足に食料も無い世界だから。
普通の人が砂漠にでも放り出されたのと同じだから・・・
それに家族や学校なんかもあるからね。
見返すと、やっぱりナブカとタブールの顛末が辛い。念のため、だから変えろとか違うほうが良かったとかいうのじゃなく、あくまであの終わりを受け入れたうえでの言葉ですが。互いが互いを「どうしてそこまで変わってしまったんだ」。ナブカに至っては、タブールを狂人扱い。あそこまで距離が開く前に、話が出来なかったのかなあ、と。例えば、第十話前後にタブールがナブカを突き飛ばすシーンがありましたが、あれも「村に帰る、帰らない」が原因。全部タブールのせいにする気はないにせよ、あのとき「多分もう村はない、だってな・・・」とどうして教えなかったのか。教えたうえで話は出来なかったのか。それなら結局物別れに終わったとしても、あそこまで断絶は広がらなかったかもしれない。あのときのタブールには最終話ほどのふっきりはなかったようだから「まだ言えなかった」ということか。ナブカもタブールも一人で考えを重ね、最終的にはタブールはナブカから最も遠い場所に自分の位置を定め、ナブカはその彼に真相を教えられると共に堕ちた偶像として致命傷を与えられて、初めてヘリウッドに対抗した。それはあくまで「故郷に帰りたい」という願いをシュウに託すかたちだった、やっぱり彼は「子供」で、等身大、利己的だけどクる。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.5; Mac_PowerPC)
「今僕」は話し合いの通用しないシビアな状況を描いていますが、それでも「話をしよう」をこの作品のメッセージとして受け取りました。ついでに、ナブカのスカーフ、逃げるハムドを見送るシュウの手に巻き付いてる(ズームされますが)のが最期で、その後ララ・ルゥの手をとって走るとこではもう見当たらないけど、どうしてしまったんだろう。持って帰っていて欲しくもあり、きっぱり捨てていて欲しくもあり。
>PERFECT WORLDさん
うわーほんとだ。何と言えばいいのか。国家に要請された仕事であれ彼は加害者だが、これを神罰のたぐいと捉えたくはない。ともあれ情報ありがとうございます。
この作品を見ていて思ったのは、結局アニメで現実的な問題を描くこと自体に無理があるということ。シュウがサラにむかって、「生きていればきっといいことがある」「子供を見殺しにするな」なんて言ってたけど、何を根拠にそんなこといえる?女性の心情などさっせるはずもない、熱血少年の正論なんか聞かされても、怒りをおぼえるだけ。それと、最終回ではシスから母親の役目を受け継いでいたみたいだけど、話としてはサラに母親の役目を押し付けたほうが都合はいいかもしれないけど、そんな簡単に受け入れられる事実じゃないでしょう。結局、この話はなにがいいたいわけ?少年よ、現実に目を向けて生きろ!って?そんな説教くさいことなんだとしたら、私はこう言いたい、戦争もちだして現実を語るのは、それは男としての立場を守りたいから、一番近い女性という現実は見えていない。なんだかんだいったって男性は女性に精神的には頼っているところは、ハムドの部下がアベリアであることをみてもわかる。日本のアニメって結局、男性がロマンを追い求めるためにあるのでしょうか?そのために女性が犠牲になるなんて、子供のみるアニメでは見たくないです。今のアニメには、戦争のなかでの現実ではなく、しっかりとした日常を描いた作品が必要なんじゃないかな?日常をしっかり生きるのも現実的だといえるし、こんな時代じゃ、ふつうの日常もフィクションでしかかけないかも。なんか偉そうなこと書いた割にあまりまとまってないような・・ とにかく、サラのような犠牲を生むのなら男のロマンなんていらない!と思ったエリでした。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
助けたからって、死んだからって、女性は許したりなんかしないのに。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows 95)
「しっかりしてない大人」に、なってしまったのかもしれない自分にとって、
カザムのこれまでの、ありようと、その顛末が、あまりにも良かったのです。
けど、『犯した男は汚いゆえに死ぬ』そして断罪されたつもりになるのも、
男性に都合のいい「おはなし」でしたね。マッチョ=男性主義的だったかな。
おはなしの中で、誰かが行動して、何かの決着が、ひとまずついたとき、
現実では自分はまだ何もしていないのに、なんだかそれで気が済んでしまいがち。
たしかにカザムに入れ込んでみたことで、日ごろ感じている、自分の男としての
身勝手さに、ひとまず決着がついてしまった気がしたなあ。
おはなしの「あー、すっきりした」というのは、そういう部分がありますね。
http://www2.ocn.ne.jp/~kemohime/index.html
ありがとうララルゥ・・・サラ・・Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98)
そして、スタッフのみなさん
全編通して良かったです。人の強さ。人の弱さ。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; MSN 2.5; Windows 95)
そういうモノに注目して作られているような気がしました。
自分はそんな頭良くないので素晴らしい感想は書けませんが、
生きていれば辛い事もそれを忘れちゃうぐらいの良い事もあるって事を学びました。
良かった。
女なんて、ガキ生んで、育てるための生き物だって思ってるんでしょ。いみじくもMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows 95)
だれかが『肝っ玉母さん』なんて、発言してたけど、これ女性に人格を認めてなかっ
た時代の死語だよね。
男であるシュウは、サラにだけ子育て押しつけて、何事もなかったように現代世
界に戻ってくるし。
ニュースキャスター、弁護士……。アメリカの女の子であるサラに、夢はなかっ
たんだろうか?
http://www.lares.dti.ne.jp/~kid-a/