「今、そこにいる僕」の世界でシュウだからこそ過酷な状況を乗り切る事ができて、相葉昴治では無理と言ったのは、荒唐無稽なパワー、純然たるバイタリティーを僕自身が切望している部分であって、作品のリアリティー不足に対するアイロニーも当然含まれています。あくまであのアニメ、「今僕」の世界ではという事ですね。普通なら即行で死んでます(笑)。Mozilla/3.0 (DreamPassport/2.1)
>toshi-ykさんMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
>あの加害者、あるいはカザムのその後をどのように描いて欲しかったのか気になると
>ころです。
月並みな展開ではありますが、サラが手を下すという描写でよかったのでは、と思い
ます。当然の権利ですしね。一人目とは徹底的に殺し合うでしょうし、カザムは抵抗
しないかも知れない、「一緒に生きよう」とか、やはり言うかも知れません(でも一
目惚れしたのならヘリウッドで捕らわれていたときに一緒に逃げてれば良かったわけ
で。結局ムシが良すぎるんですよね)。
話しが横にそれますが、実際サラにはこの世界において何も役目がなければ目的もな
い。間違えて連れてこられて、やらされたことと言えば(権力のない)女王アリのよ
うなことをさせられただけ(酷い表現ですが)。
これって、かなりつらいです。というより羅列していて気づいたんですけど、これほ
ど酷い扱いのキャラクターは見たことがないです(昔のロボットアニメの「人間爆弾」以来でしょうか)。それはもう、「戦争」をテーマに扱っている時点で、そん
なキャラクターが存在してもおかしくはないのですが、サラの描写はそういう不幸なキャラクターなのだとしてもかなり違和感を感じてしまうわけです。
例えば、脱出に成功し下着姿で髪を切るシーンなど、確かに映像は綺麗です。
ただ、「女だからこんな目にあったんだ、だったらこんな長い髪なんか...!」という
意味合いもあるんだろうなと思って見ていた自分にとって、その後下着姿のまま砂漠
に出るというストーリーの流れ自体、違和感を感じずにいられないわけです。
「下着姿で砂漠に出る」=「自殺願望」
「髪の毛を切り男の子のような姿になる」=「生きる為の環境適応」
解釈の仕方が悪いのかも知れません。でも自殺願望なら「髪を切る」行為自体意味が
無いように思われます。環境適応もまた下着姿と対なすものです。
また、逃げた後、サラが何を目的として生きるか、という点についても疑問がありま
す。3人目?を相手にする前に殺して逃げた。では、その後は?人一人殺して脱走ま
でやってのけた彼女がそれで終わり?運良く拾ってもらったあの村で余生を過ごすつ
もりだった? やはり違和感を感じてしまうわけです。
で、生きる目的として「復讐」を与え、最初の自分のして欲しかった描写へつなげる
わけです。「殺す」という描写がだめならば、すでに二人は死体となっており、サラ
は泣きながら死体にナイフを何度も突き立てる、というのでも構わないと思います。
要は、サラに正当な権利を全うさせてあげたいだけなんですね、自分は。おそらく誰
もそんな見方はしないと思うのですが(苦笑)、この世界において(例え未来の地球
だったとしても)サラというキャラクターは、赤ちゃんと同じくらい限りなく「罪」
のない存在だったのですよ。その認識故に、ますます哀れに思えてしまうわけです。
あ、シュウは感情という公害をまき散らしまくったので「罪」バリバリです。正論の
押しつけって親切の押し売りと同じくらいタチが悪いですね。
それも根拠さえあればもう少し好意が増したんですが。天涯孤独の身だけど周りの人
たちの親切もあって、何とか頑張ってやっていけてるとか。月並みでもいいんです。
そういった描写があったらもう少しキャラクターに深みが増したんだと思うんです
が。
生きていればいいことがあるって、よほどの人生を歩んだ人じゃないと滅多に言える
ことじゃないと思うんですがねぇ(溜息)。
>WOさんMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
いいえ、シュウに対しての解釈は「正義感」であっているのだと思います。ただ、
「経験値の足りない正義感」なだけなんでしょう。
>toshi-ykさん
妊娠・堕胎についてなんですが、中絶反対論と受け取っているわけではないんです。
作用・反作用の法則とでもいいましょうか、因果応報といいましょうか。テーマとし
てはイジメでもいいんです。理不尽なモノから受けた被害を、等倍もしくは倍返しに
相手に返す、そんな教訓がこの世にはあってしかるべき、だという事を表現して欲し
かったわけです。その意味では、ナブカが死ぬのは仕方のないことだったと思うし、
スーンも仕方がないと思える。ブゥとて割を食っていないように見えるが、実は慰安
室(?)と知りつつサラを部屋まで連れていった経歴がある。で、サラに限っては
運命「総受け」なだけで、「自分で」生むと決めた理由も曖昧(というより男性的
視点からのストーリーの流れゆえ)理解不可能なものである。
殴ったら殴り返す、これでは喧嘩は終わらないという意見もあるとは思いますが、
殴られた方にとってはたまったものではありません。現実においては、殴る側と殴ら
れる側の差というモノは逆転する事は容易ではありませんが、せめて架空の世界に
おいては...という願望が心のどこかにあるわけです。
見ている方がいらっしゃるようなので例を挙げますが、リヴァにも似たようなシチ
ュエーションがありました。ですがこちらの方がショックが幾分薄く感じられたと
思います。無い知恵絞って考えるだに、一つにコズエにも火種となる非があったこと
もう一つにイクミの報復及びケアがあったこと。この二つが、同様なシチュエー
ションながら、何ら無垢な被害者が報われることのない「今、ぼく」の方に延々と
納得しない感情をもたらす要因だったのだなと思うのです。
あと、もう一度見る気力がおきないのでうろ覚えなのですが、サラが水に浸かった時
って、堕ろすためだけに体を冷やしていただけで、自殺しようとしていた、という風
にはとらなかったんですよね、自分...。
>DTさんMozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC, Nav)
僕のいきなりの細かいレスづけに再レスをどうも有難うございます。またレス付けさせていただきますが、まず僕の「念」について、
>妊娠・堕胎についてなんですが、中絶反対論と受け取っているわけではないんです。
>作用・反作用の法則とでもいいましょうか、因果応報といいましょうか。テーマとしてはイジメでもいいんです。
>理不尽なモノから受けた被害を、等倍もしくは倍返しに相手に返す、そんな教訓がこの世にはあってしかるべき、だという事を表現して欲しかったわけです。
だということで、目利き違い申し訳ないです。僕としてはその教訓には違和感を覚えるものの、こうしたところにまでどうこう言うつもりはないです。ましてやサラの処遇が余りにも一方的すぎるという指摘には。誰もそんな見方はしないのでは、とのことですが、僕も過去の書き込みで、未来世界の出身ですらなく、あらゆる意味で未来世界の状況に責任がないサラに、苦痛を叩き付けていることに対する疑念を何度か書き込みました。リヴァイアスとの比較にも同感です、っていうか、これについても前に同様の書き込みしました。
>例えば、脱出に成功し下着姿で髪を切るシーンなど、確かに映像は綺麗です。
>ただ、「女だからこんな目にあったんだ、だったらこんな長い髪なんか...!」という意味合いもあるんだろうなと思って見ていた自分にとって、
>その後下着姿のまま砂漠に出るというストーリーの流れ自体、違和感を感じずにいられないわけです。
にも、同感です。下着化=自殺願望というのはさすがに頷けませんが、僕としてもまともな理由が見いだせません。たしか夜でしたから、「暑かった」というのは通らないでしょうし。砂漠って昼と夜の温度差が激しかったと思うので。次に、
>あと、もう一度見る気力がおきないのでうろ覚えなのですが、サラが水に浸かった時って、
>堕ろすためだけに体を冷やしていただけで、自殺しようとしていた、という風にはとらなかったんですよね、自分...。
とのことですが、あれはおっしゃるように堕胎目的でしょう。その後の腹に石を叩き付けたのもそうですね。僕が自殺と書いたのはその後、サラが「死ぬことも、許してもらえないの?」と口にしてから、「生まれてなんて、こなきゃよかった」までです。「自殺を試みる」と書いたのがまずかったのでしょう。後で気づいたのですが文字通り後の祭りでした。
で、ここからがまた同感混じりの異論です、Mozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC, Nav)
>サラに限っては運命「総受け」なだけで、「自分で」生むと決めた理由も曖昧(というより男性的視点からのストーリーの流れゆえ)理解不可能なものである。
ですが、たしかに出産の理由づけは弱いですね。正直、堕ろすという選択肢の方が自然だとは思います。ただ僕としては、『今僕』最終話が描こうとしたのはあくまでサラ自身が怨念だけではない今後の生の目的を見いだしたということで、「産むこと」はよくも悪くも彼女が「この世界で生きてみよう」と決めたことの付随物と受け取りました。「ここで生きてみる」の強い口調に比した、「この子は、私とこの世界とのつながり」での複雑そうな、自分に言い聞かせるような口調が強く印象に残っているので。つらい決断だし、今後に対する保証などまったくないし、「新しい命は産まねばならぬ」「新しい命の誕生を通じて何かを描く」などという産む者を無視したお題目で突き通せるようなものじゃないし、別の書き込みで触れた大地監督のインタビューでの十一話に触れた言葉に、「子どもが生まれてくることが、何か一つ描けるんじゃないか」という一節があって、反発を覚えもしました。関係ないですがこういうとこインタビュアーには突っ込んでほしいものです。この台詞だけじゃどうにも安易で、とてもじゃないけどサラの出産に納得いかない人を首肯させられないでしょうから。
それと、『今僕』の男性的視点を強調する向きに対しては、傍証に留まりますが一つ指摘しておきたいことがあります。それは、こと声優側からみれば、『今僕』は女性の比率が極めて高い作品だということです。オープニングに登場するキャラ八人のうちで男性が声を当てているのはハムドのみ、それに他の準メインの、エランバ、タブール、カザム、スーンをいれても、十二人中八人、実に三分の二が女性です。特に、11話でのサラの妊娠での問答は、医師を除いて女性声優のみで構成されています。『今僕』のストーリーがどうしようもないほど男性中心的であるならこれらの女性声優側から何らかの拒絶反応が出ているだろうし(声優さんのなかには大地監督と仕事をご一緒した経験を持つ方が多いようだし)、男性側に偏っているとしても声優さんの演技でそれを中和、さらには転倒しているところもあると思うのです。先に挙げたサラの最後の決心の言葉のなかの比重の置きようなど、その最上の例かと思います。
シスのいまわの際の言葉にせよ、僕は最初は「産んで慈しんでやってくれ」という意味かと思ったのですが、産んでくれとは一言もいっておらず、「憎まれるために・・・」の所は「生まれてくる」で、その意味では子供はお腹にいる時点でシスにとっては既に生まれていて、「その子を産むにせよ堕ろすにせよ憎まないで」という、なんというか、産むにせよ堕ろすにせよその子供を憎むことはサラ自身にとって非常にきついことで、それを軽減するために子供をいったんニュートラルなものにする意図だった、と考えるのは贔屓の引き倒しでしょうか。先に引用した大地監督の台詞から推し量れば、「どんな原因の生まれだろうが子供は慈しまれるべき」という、母親無視のお題目ではという疑念は消えませんが、そんな安直な内容の台詞を喋ることをシス役の松本理香さんが納得するとはどうも考えにくいところです。その意味でも、大地&倉田両氏だけ露出している感のあるアニメ誌の『今僕』インタビュー、これだけ女性の描写が疑問に付されているのですから、ぜひ女性の参加声優の方々にもインタビューしてほしい(優先順位は次ですが男性側にも)。これが載るなら、来月発売の設定本、喜んで買うのですが。Mozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC, Nav)
>あ、シュウは感情という公害をまき散らしまくったので「罪」バリバリです。正論の押しつけって親切の押し売りと同じくらいタチが悪いですね。
鬱陶しく身勝手というのは分かりますが、戦争はおかしいうんぬんは幼稚ではありますが作中状況の壮絶さもあってか腹は立ちませんでした。例外はサラの堕胎に関する言葉。あれは理解に苦しみます。ひっぱたいたのは自殺を、「生まれてこなきゃよかった」を口にしたことに対する反応ですからまだ分かったのですが、「死んだら何もかも終わり、お腹の子供だって生まれる前から終っちゃう」には・・・。そうまでして産まねばならんのか。ここが「サラが生まれてこなかったら・・・」だったら出産を前提しない別の解釈が成り立つのでまだ分かるのですが。
>生きていればいいことがあるって、よほどの人生を歩んだ人じゃないと滅多に言えることじゃないと思うんですがねぇ(溜息)。
これについては前に書いたように、丸でいいこと無しの奴があえて言うところになにやら感じる、と。むろん彼の言葉全てを受け入れるわけじゃないです。
DTさんの書き込みには関係ない部分が多い的外れ気味なレスになってしまいましたが、こんなところです。あんまり続くと苦痛かもですから、再レスはご随意に。それでは。
長文の後にさらなる場所取りで申し訳ないですが正誤訂正させていただきます。Mozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC, Nav)
(誤)松本理香さん (正)松本梨香さん
(誤)「この子は、私とこの世界とのつながり」
(正)「この子は、この世界と、私との子供だから」
これに限らず細かい間違いはあるでしょうが、前者は人名、後者は大事な部分のためあえて訂正することに。
今月、ついに最終巻が出ます。何とこの12話、13話、特に13話はリテーク(直したカット)の数が半端じゃありません。他の話数の3倍は放映時より直しが入っています。おまけに通常ではまずやりませんが、もう一度エフェクト音、効果音、音楽、台詞を付け直しているそうです。これは絶対観てほしいと思います。という事は放映時の映像の方がもしかして貴重になってる?もちろん12話も大分直してあるそうなので是非観て下さい。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 4.01; Windows 95)
今僕の使いさん 情報どうもです。。。Mozilla/4.08 (Macintosh; I; 68K, Nav)
一応ちょっと補足させて下さい。
>もう一度エフェクト音、効果音、音楽、台詞を付け直しているそうです。
つまりDB(ダビンング)という行程をやり直している ということです。
アフレコはやり直していませんので勘違いのない様 お楽しみに。
大地監督は、お約束とかそういういかにもMozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)
フィクションらしい環境では力を発揮するとこもあるんだけど
現実を描くとか、真理を物語で追究するとかそういうことは
できない人のように思いました。
『姫ちゃんのリボン』や『すごいよ!マサルさん』や『十兵衛ちゃん』とか見ました
けど(すごいよ〜は原作しらないので判断はつかないとこもありますけど)
監督としての大地さんの感想はそんな感じを受けました。
そういう意味では高橋良輔監督とは反対とも思えるんですけど、
両者とも、姫ちゃん〜には参加してるのは不思議。
あっ今僕もそうですね。なんて正反対なんでしょう(^^;
大地監督には女性の宿命みたいなことは描くの無理があるんじゃないかなー
時代劇好きだって聞きましたけど、あれもお約束の世界だし。
戦場という極限の状況(ましてや50億年後の未来で希望がない極限状況)
ではその人間がどういう人間か、とか全部でますよね。
時代劇も人間のドラマがあるけど、あれはお約束の世界に守られたところがあるから
人間が全部剥き出しになるというより、娯楽でしょう。
全部見たわけじゃないですけどね時代劇は。
そういう人に『どれだけ人間が剥き出しになった状態がリアルに描けるんだろう?』
と思ってしまうんです。たしかに今僕にある種のリアルは感じます。
今のアニメはどれも人間や舞台などでリアル感が足りないというか、
薄い感じを受けますが、これは違いました。
真っ赤な夕日、昭和を思わせる懐かしい風景・・・
昭和の端しか知らない自分でも、少しは懐かしさの匂いを感じ取ることができて
よかった部分はあります。でもそれはロマンとしてだと思う。
女性という性はいつでも現実を身体に宿しているのかもしれますせん。
だって子供を産むという行為は、現実を考えざるを得ない
そこにはロマンもヘッタクレもないし、ましてや戦場ではそのハンデがもろにでる。
そこにきて『生きていればなんとかなる』発言はつらい、、、
それが例えば、戦争で家族や恋人を亡くした青年が、
「それでもいっしょに生きて欲しい」とか同じ時代のサラの立場の人間に
言うんだとしたら納得がいきますが、シュウがサラに言う台詞ではないはず。
そこらへんは見てて辛い場面でした。
結局少年が悪を倒すというのはロマンの域を出ないんですよね。
でも変に現実味があって、それは圧倒的にサラにでてる。
そういうアンバランスさを見ると、大地監督はあまり現実とロマンに線を引くことは
できなかったんじゃないかと思ってしまうんですよね。
男性が求めるロマンは女性を幸せにするものではないし、戦争はロマンではない。
でもこの作品はそこらへんをきちっと分けて描けたかというと
どうもあやふや。
なんかそういうとこが後味悪い感想を残す作品だと感じた部分があります
他に語るべき部分もあるでしょうが、月影蘭など見てると「こちらのほうが
大地監督には性にあってるのではないか?」と感じたところもあったので
あまりまとまりのない文とは思いますが、書き込みさせていただきました。
まあ監督だけが作品を作ってるわけじゃないでしょうけどね。